ラティハン日記・掲示板

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バパのリンカネーション論(輪廻転生論)/下

Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

 December12月11日, 1977 - Bapak
私たちのラティハンは、この世に存在するものを超えて、この世界を超えてあるものを目指しているものです。

ラティハンでは、感情心と思考心がこの世界に限られており、それを超えて行くことができないため、私たちは感情心と思考心の不活性化を経験します。

バパがあなたに説明したサン ヒヤン シスSang Hyang Sisと同じように - 彼は自分が望むものを得たにもかかわらず、そして非常にすばらしい、非常に強力で非常に輝かしいものになったが、それはすべてこの物質世界の中のものでした。(注2)

これが彼の足跡と彼の方法に従う人、サン ヒャン シスに従う人が常に生まれ変わりを必要とする理由です。(注5)
彼らはいつもこの世に戻ってくる必要があります。

これは、例えばチベットで新しいリーダー、新しい王または新大祭司、あるいはダライラマと呼ばれる方を探しているとき、彼らはいつも最後のダライ・ラマが亡くなったその時刻に正確に生まれた赤ちゃんを見つけようとするのです。
そうやって、ダライラマの精神や魂の生まれ変わりの果実を得ることができるのです。(注6)

これが私たちが受け取ったものとの違いです。

それはもちろん、インドでも同じです。
彼らは、人々は常に良い人生を送るべきだと常にアドバイスしています。
彼らはこの世で禁欲主義と自己否定を練習し、夜には断食と祈りと覚醒を続け、本当に「ミカMika」である人になるかもしれません。(注4)
ミカになった人は死んだ時に、この世界を離れることができます。

しかしそれらが意味することは、彼らがこの世界に戻ったときに彼らが行く場所を選ぶことができるという立場にあるということです。
彼らは自由に選ぶことができます。
だから次回は、この世では非常に裕福になるか、非常に成功する、あるいは非常に高い地位になる、あるいは多分王になることが運命づけられているような、赤ちゃんや胚、あるいは彼らが見ることができるものならなんでも、そういうものを選びます。(注4)

しかし、当然のことながら、今日は多くの王がいないので、大統領になるか、そういうような人になるだろう。
だから、いつも生まれ変わりに頼ってこの世に戻ってきます。

例えばイスラム教やキリスト教、あるいは他の宗教では、それはまったく異なっています。
生まれ変わりはありません。
イスラムは生命を意味します。
私たちが知っている宗教は、イスラム教やキリスト教のように、生命を意味します。
(注:ここでバパが言っている宗教とは、アブラハムの宗教と言われている系列のものの様です。)

つまり、理論的には(そういう事になっています)。
宗教は永遠の命ですが、そしてそれはまだ実践されていますが、多くの人々はそれを実践する方法を知らないのです。
彼らは理論にとどまるだけで、バパが今説明したように、彼らはまだ普通のやり方で物事を実践しています。
(注:ここは「それぞれの宗教に従う多くの人たちには、しかしながら現実が伴っていない」という主張になっています。)
・・・・・
それは、神の力が実際には「感覚」であることを思い起こさせることです。
「感覚」の中に、あるいは「感覚」を通じての感覚です。
そして、これは今私たちが全能の神の恵みによって受けたものです。
つまり、このラティハン・クジワワンで神の意志によって神の力との接触を受けました。

そして、この目的は、神の力との接触を感じることができること、私たちがジワjiwaの生命を感じること、つまりこの世界でまだ生きている内に感情心と思考心の影響から解放された生命の振動を感じることです。
なぜでしょうか?
その目的は、この世界での私たちの人生に対するこのような理解をジワに移すことができるということです。
その結果、私たちが死ぬ時、感情心と思考心がもはやそこになくなる時に、ジワが奇妙に感じることはありません。
(注:人が生きてきた記憶をジワに転写し保持できる、つまり死後も個性が保存される、という主張です。)

それは、この世界での経験やその人生の現実を得ているので、(死に臨んでも)私たちは依然として意識を持ち、気が付いている事ができます。
(注:通常の場合は人は死に臨んだ時に、無意識に落ち込むか、あるいは意識がなくなります。)

Febuary2月3日, 1980 - Bapak
しかし、人々が夢を見て努力して達成することは、これらはイスティジラットistijratです。
したがって、人々が超自然的な力を身につけ、不死身になることそれはイスティジラットistijratです。

彼らが死ぬと、これらの人々は次の世に行くことができません。
彼らはそれをすることはできません。
そのような人々はこの世界に属します。
彼らが生まれ変わったのはそのためです。

したがって、バパの場合、バパの受けた事によると、バパは死んだときに生まれ変わることはありませんが、(生命は)継続します。
・・・・・
神の意志であり、神があなたを導いているなら、起きているか眠っているかを問わず、あなたがしているすべてのことにおいて、すべてのあなたの活動、すべての行動において、あなたは全能の神の導きと指導を感じるでしょう。
あなたは、神の力が本当にあなたを内側と外側の両方で囲んでいるという証拠を得るでしょう。

人々が通常は「人生の危機」とみなす死は、そのような人々にとってはそう感じることはありません。
そのような人々とは唯一全能の神からワヒュー(wahyu:恩沢)を受け取った人々です。
死後の世界は、すでにこの世界と一つになっているので、それらの間には何も立っていないでしょう。
(注:死後の世界とこの世はひとつづきである、障害物はない、という主張です。)

April4月8日, 1984 - Bapak
宗教では、絶望する人は醜い、罪深い、神を信じない人とされるために、人間は絶望することが許されていないとすでに説明されています。

例えば、彼はこれを探してそれを見つけることができない、彼はそれを探してそれを得ることができない、彼はこれで働きたい、そして彼はできない、彼はそれで働きたい、そして彼はできない。

だから彼は言う。
「私はもう死ぬかもしれません。なぜなら人が言うように、あなたが死ぬとそれが終わり、私たちの人生の話の終わりだからです。」

全く違います!
エスは自分自身でこう言いました。
「死は生命の継続です。」
だから、死は終わりではなく、生命は続くということは明らかです。

問題は、どの道にそれが行くのか?です。
それは後ろ向きに行くのか、それとも先へ進むのでしょうか?
それは上向きになっていますか、それとも下向きになっていますか?

これも仏教において説明されており、それは「生まれ変わり」と呼ばれています。
(他方で)イスラム教にはそのようなものはありません。
イスラムは生まれ変わりを望んでいない、彼らはもし可能ならばそれを避けたがっています。

しかし、イスラム教徒がバパがちょうど述べたように、彼らは同じ宗教で同じ人種であるにもかかわらず、お互いを殺し合っているのであれば、誰が最後に彼らを上げることができるでしょうか?
そこには、そのような人々のための余地はありません。
地獄は天と呼ばれるものに比べて小さいが、それでも多くのものを含むことができるほどの大きさはあります。

だから悪い人、醜い人、貧しい人は金持ち、知的な人、学部長である人よりもずっと多いということは大事です。
それが神の定めです。
それにもかかわらず、兄弟姉妹の皆さん、神は人にそのような運命を離れさせることを可能にします。
あなたが神の助けを受けるならば、その場合のみあなたがそうすることができるということを忘れないでください。

April4月21日, 1984 - Bapak
私たちは裸で生まれました。
後で私たちが死ぬ時、私たちが帰る時、再び裸になるでしょう。
そして、私たちがこの世界を離れるとき、私たちは何も持っていけません。
それでも、オランダの諺にあるように、死はまさに人生の継続です。

それは私たちが間違いを見て死ぬ時にそうなります。
私たちは物質にこだわって、野菜にこだわって、動物、人間につかまった。
なぜ私たちは物事に取りつかれ、食事をしたり、他の人との関係につまずきましたか?
人生に付随すると思われるまさにその力(4つの低次の諸力)を避けることによって得る結果は強みではなく弱みです。
意図した通りこれらの力(4つの低次の諸力)よりも上に上がるのではなく、(死後に)それらの下に落ちます。
(注:この部分はバパの禁欲主義的な修行方法への批判になっています。)

そしてそれは、兄弟姉妹の皆さん、私たちの間違いの結果として、生まれ変わりと呼ばれるものが起こるのです。
(注:これがバパの生まれ変わりに対する結論の様に見えます。)

化身(incarnated:肉体化)とは、インドで起こると言われているものを意味しています。(注9
インドでは、人間の魂を持つ牛がいると言います。
彼らはそこに「その牛は人間の魂を持っている」と言っています。
しかし、人間の魂が牛だけに生息するだけではありません。
木はまたその中にそのような魂を持つことができます。
物質的な物も(魂を持ちうる)。
これはインドに関連するものです。

それはアラジンAladdinの(魔法の)ランプの物語のようなものです - ランプをこする人は悪魔の住居に吸い込まれます。
なぜ?
人間自身の間違いのために。

なぜこれはすべて起こるのですか?
思考、感情心、思考心を間違った方法で使っているからです。
これが、バパがあなたにある事を伝えたい理由です。
バパが最近ジャカルタ外のメンバーに言ったことですが、ここ(チランダ)でも繰り返す価値があります。
少なくとも、他の人を傷つけたり傷つける心や意欲を持たないでください。
復讐感や憎しみをはるかに少ないように。
これは絶対に許可されていません。

神聖なコーランの詩では、それは言われています。
イスラムの人は、別のイスラム教徒に対して嫌悪感や復讐感を感じてはいけません。
恨みの気持ち、恨みの抱きしめ、復讐の意志は、その気持ちを持っている人が、復讐する人、場所、物に、つまり、彼が憤慨しているまさにそのような人へと肉体化(incarnated)されることを意味します。
これが現実です。

あなたが男であり、あなたが結婚していて、あなたの妻が妊娠して子供を運んでいる場合、あなたが誰かを憎むようになったら、あなたに生まれる子供は、あなたが嫌う人のようになります。
はい。あなたが軽蔑する人が知的で親切で美しいものであっても、(あなたが持つ子供は)知的ではなく、親切ではなく、善良でもありません。

そのように登録されます。
そしてこれ(間違い)はすべて人間自身が作り上げたものです。

July7月8日, 1984 - Bapak
この世においては、我々は尚、食物を必要とし、人々が私たちを好まない場合にはそれが気にさわります。
私たちは尚、自分たちが何かを作り、人々がそれをけなしたならば腹が立ちます。
何故ならば、私たちは尚、この世にあるものと結び付けられているからです。
そして若しも、私たちがずっとそういう風に結び付けられたままでいれば、最後には古代のジャワ人のようにバパが前にも話したような存在となってしまうでしょう。
つまり、彼等は尚もこの世に住んでいます。
彼等は尚ここに居てそして働いています。
(注:通常、我々が幽霊と呼ぶ存在の事)
何故なら、この世に存在するものとの結び付きの故であります。
これが生まれ変わり、或は、転生と言われているものです。
これが輪廻転生へと人々を導くものです。  

イスラムにおいては人々は輪廻を好みません。
彼等はそれを好まないのです。
けれどもしかし、 どうしたらそれを脱することができるかを理解していません。
問題なのは、殆どの宗教が尚、フアンタジーであるということです。
というよりは人々の宗教に対する信仰が尚、フアンタジーの領域にあるということです。  

丁度、それは回教徒がこう言っている場合のようなものです。
あなた方は一日の断食が明ける時にナツメヤシを食べますが、その度ごとに、つまり、あなた方がより沢山、そうやってナツメヤシを食べる度に、そのナツメヤシは来世に植えられて、そしてあなたは天国に行けるのですよと。
そして、あなたは自分が断食をして、その断食明けに食べたナツメヤシの数だけ、天国でナツメヤシの木を持つことになるでしょう。
ですから、できるだけ多くのナツメヤシを食べなさいと、こういう風に言います。

人々は勿論、この話は単にアラビヤの輸出を推進するためのものであることを知らないのです。
そしてこれは、単にイスラムを広めた人々の関心事であって、宗教とは何の関係もないことを知りません。

June6月11日, 1985 - Bapak
ラティハンの性質は、私たちの起源を示すことです。
私たちがどこから来たのか、私たちの祖先はどこか、私たちの内的な内容はどこにあるのかを示すことです。
象や牛、ヤギなどが何であれ、そういうものが私たちの中にいるかどうかがわかります。
これらはすべて本当のものです。
そして象やヤギのようなものなら、少なくともあなたはそれを見ることができるので、それはそれでいいのですが。
しかし仮に、あなた方が 一匹の蚊であるとしたら、あなたの経験の中には実体らしいものが何もないということになります。
ですから皆さん、あなた方が一つの階段から次の階段へ、物質から植物へ、そして動物へ、そして人間へと行くということ、つまり、生まれ変わりがあるというのは本当に真実のことなのです。

そこで、次のようなことが重要だということになります。  
さて、あなたは今人間のレベルにいる。
少なくとも後戻りして、牛やら山羊やらにならないようにしなさい。
仮に前に進むことができないにしても、少なくとも今あるままに留まるように努めなさい、ということです。(注7)

2月27日 2015-Ibu
まあ、それは起こる。
彼は影響を受ける傾向があります。
彼の祖先は彼に影響を与えます。

実際、協会では、生まれ変わりは適用されません。
しかし、まだ(神によって)受け入れられていない霊があります。
ほとんどの場合、誰かが協会にいる場合、浄化は十分です。
彼らは再び生きる必要はなく、また戻ってくることもありません。(注8)

2月5日 2016 -Ibu
「協会にはいっていれば、私たちはみな天国へ行くだろう」などと言わないで下さい。
なぜあなた方はそのように考えるのですか?

「バパが私たちをそこへ連れて行ってくれるでしょう」
そんなことはありえません。
バパはあなた方を天国へ連れて行くことはできません。
あなた方各人がその努力をしなくてはならないのです。
バパは単に方法を提供しました。
バパはあなた方をおんぶして天国に連れて行くつもりはありません。
あなた方は自分で努力する必要があるのです。
(注:これがラティハンと宗教でいう所の「神との契約」との違いになります。)
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注4
ミカ(Mika)については探しましたが、分かりませんでした。
現時点では詳細が不明なコトバです。

加えて「インドでも、アンワスの道は行きわたっています。」というのがヒンドゥー教の事をさすのであれば、「良い暮らしをする為に現世に戻りたがる」という指摘は誤解でありましょう。
ヒンドゥー教の生まれ変わりについてのスタンスはこちらの記事を参照願います。<--リンク

その記事にあるように『輪廻転生からの解放を達成し、ブラフマンの不滅の世界に入り、彼らが最高自己Supreme Selfとの統一の状態で永遠に解放される』のが目的である事が分かります。

注5
ここでバパは仏教やヒンドゥー教がサン ヒャン シスと呼ばれる事になったアダムの孫にあたるアンワスが起源である、というジャワの伝説、あるいは神話をもとにした話をされています。
しかしながらそれはジャワにイスラムを広めるために作られた話の様であります。

この件、内容詳細につきましては注2のリンク先の記事を参照願います。
(但し、バパはアンワスといいますが、多くの記録ではアンワルがサン ヒャン シスになったとしています。)

注6
ここの文脈ではダライ・ラマが「サン ヒャン シスの道に従う人」で「権力を持つ優れた人々として戻ってきている人」の例の様に扱われています。
さて、この指摘は本当でありましょうか?

ダライ・ラマの「輪廻転生制度」については以下の様にHPで説明されています。

・14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度<--リンク

あるいは、次の様な記事もあります。
ダライ・ラマ14世「私でダライ・ラマ制度は終わりにしたい」<--リンク

転生を繰り返すダライ・ラマをHPが主張するような「菩薩行」とみるか「今の地位を求めて常に現世に戻りたがる人,良い暮らしを求めて転生する人」と見るかは、読者の判断にお任せしたいと思います。


他方で、チベット仏教では仏教徒は現世に戻りたがっているのでしょうか?
チベット仏教で特徴的な「死者の書」からその様子が伺われます。<--リンク

そこから分かるのは、やはり「輪廻からの解脱をめざいている」という事でありましょう。
そうしてこれは個人的な認識ではありますが「解脱ができないならば、せめてまた人に生まれ変わること。」がチベット仏教では次に希望されている事であると理解しています。

注7
ここでのバパの立場は「輪廻転生から離脱出来ないのであれば、せめて人として転生するようにしなさい」というものであります。
これはリンカネーションを認めるバパでありますれば、当然そのようなアドバイスになるかと思われます
そうしてまた、このスタンスはまったくチベット仏教徒のスタンスと同じであるようにも見えます。

注8
『ほとんどの場合、誰かが協会にいる場合、浄化は十分です。
彼らは再び生きる必要はなく、また戻ってくることもありません。』

ここでは2代目は「8割~9割がたの会員は輪廻を離れる」と主張されているように見えます。
そうして、「輪廻を離れるのはロハ二に到達した会員だけ」とするバパの説明からすれば、我々の協会の8割の人はロハ二レベルだと言う事になります。
しかしながら、そのような事はどうやら現実ではない様です。
とするとこれは会員へのリップサービスかな、とも思ってしまうのでありました。

注9
ネパールでの化身(incarnated:肉体化)の例です。
ご参考までに。
・生き神「クマリ」に選ばれた3歳児、儀式経て任命 ネパール<--リンク

まとめ

バパがトークで「Tuhan Yang Maha Esa」(唯一の神)と言います。<--リンク
それを英訳者が「God Almighty」と英訳します。
そうして和訳が「唯一全能の神」となります。

バパは「イスラムだ」といます。
我々はそれを「バパは(オーソドックスな)イスラムだ」と理解します。
しかし実態はバパのイスラムはジャワ・イスラム(ジャワ伝統的イスラム)です。<--リンク

バパがアダムの話をします。
我々は「バパは旧約のアダムの話をしている」と理解します。
しかし実態はバパはイスラムでのアダム、そうしてジャワにある伝説・神話としてのアダムの話をしているのでした。<--リンク

さて、そういう訳で我々は「イスラムであるバパが仏教やヒンドゥー教が言っているような輪廻転生を認めるはずがない。」と自分たちで勝手に判断します。
しかしながら実はバパは輪廻転生を認めており、多くのトークでその事を語っていました。

論点整理(バパが言った事)

・輪廻転生は存在する。
・全ての人は輪廻の輪の中にいる。
・カルマによる転生(化身?)もある。
・バパは「人は自分の間違いによって転生する。」と主張している。
(注:間違いとは・・・地球上で使う力のみしか知らず、その結果、自分を地球と強く結びつけてしまう事)
・いままで積み重ねてきた間違い(カルマ)はラティハンによってきれいにできる。
(注:但し我々がラティハンによる浄化の邪魔をしない、という条件がつく。<--リンク)
・ラティハンによってロハ二 レベルまで到達すれば輪廻から離れる。

・四つの低次の諸力は地球上のみに限定されている。
・したがってそれらを主に使った修行方法では地球を離れる事は(輪廻を離れる事は)できない。
・サン ヒャン シスというのはそのような道の象徴である。

仏教徒ヒンドゥー教徒は輪廻からの解脱を目的とせず、常に良い暮らしのできる人間に転生する事が目的である。
(注:これはバパの誤解であると思われる。)

・四つの低次の諸力しか知らず、それだけを使い、人生を過ごした人が輪廻から離れる事はない。

イスラム、あるいはキリスト教、あるいはそれ以外のアブラハムの宗教は輪廻転生を好まない。
・しかしながら、それらの宗教に従う人たちはどのようにしたら輪廻から離れられるのかをしらない。
(注:したがってそれらの宗教に所属している人たちが輪廻を脱するかどうかは確実ではない。)

PS
こうしてバパの中では「唯一の神」という存在と「輪廻転生」という事柄が何の矛盾もなく共存しているのであります。

そうして実際にそれは、我々の常識的な考え方、あるいは広くよく知られている考え方とは違いますが、それにも関わらず、この二つのものが同時に存在する事はできない、とするような合理的な、あるいは妥当な理由はどこにも見当たらない様に思われます。


さて、ラティハンは性別、人種、思想、宗教を差別しません。
そうであればその先にある「天の領域」もまたそうでありましょう。

バパはそこをロハ二 レベル以上のジワ(魂)の行く先としました。
そうして人々はいろいろな名前でそこを呼びます。

いわく、天国、ロハ二のジワの天の住み家、輪廻から離れた魂(ジワ)の行く先、mokṣa(モークシャ)、ニルヴァーナ(梵: nirvāṇa, 涅槃)等々。

バパが言うように、ジワが永遠のものであり、なおかつジワが輪廻転生をするのであれば、その輪廻を離れたジワが行く先も一つでありましょう。

そうして、その行く先の名前について言いあらそってみた所で、得るものはないもない様に思われます。


そうしてラティハンというものは人間のカルマを浄化し消滅させることにより、輪廻から離れる事を可能にするような、具体的で自然な、そうして強力な手段、方法であると見なす事ができそうです。

少々補足すれば「具体的である」というのは人間の想像力や集中力を使って人が何かを作り出す、何かを達成する、という必要はなく、ラティハンそのものが実体的であり人に求められる事は「それを受け取る」と言う事だけである、という意味になります。

「自然である」と言う意味は、ラティハンが本来の自分を目指すものであって、自分と違うものになる事を目指していない、という意味になります。

そうして「自然でありながら強力である」と言う事は、ラティハンが目指している方向、ラティハンがもたらしてくれる浄化の方向を自分が進むべき方向である、として認め「その方向でよし」とするならば、ラティハンは最終的にはその人を解放にまで導くほどに強いものである、という意味になります。

しかしながら、「いいやその方向は違う」といって自分の現状の姿を「是」とするならば、ラティハンが浄化したものを、また自分で元に戻すならば、そこで浄化は足踏み状態となり、ラティハンがそれ以上の浄化を強制的に行う、ということはないという事になります。(注10

つまりラティハンの道行きの中では「人の自由意思は尊重される」ということであり、一切の強制力は働きません。


余談になりますが、この事はこの世の成り立ちに深く関係している様にみえます。

つまり、輪廻転生というものはつまるところ自己責任での転生を認める、という世界構造であり、その大前提は「人の自由意思は尊重される」という事であると思われます。

注10
もちろん我々が感情心や思考心、あるいは通常ペルソナと呼ばれているような自我によって欲望される、あるいは希望されるような方向にラティハンの浄化の方向を導くという様な事は基本的に不可能です。
それゆえにラティハンの浄化、あるいは進歩を早めようとして、「よかれ」と思って我々が能動的に行う「すべての修行行為」は無駄であり、それどころかラティハンの邪魔をする、という結果に終わってしまうであろうとバパは言うのであります。
(但しこの内容は、ラティハンと切り離して行う、ラティハンの浄化や進歩とは関係を持たずそのような意図を持たない、精神的なあるいは身体的な練習、訓練、エクササイズの実習を妨げるものではないと思われます。)

PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク

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