ラティハン日記・掲示板

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バパのリンカネーション論(輪廻転生論)/上

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バパはどうやら輪廻転生、リンカネーションを認めていた様です。

そうしてそれはある特定の人について、たとえばダライ・ラマのような人についてだけ、というものではなく、すべての人に対してのものでした。

そうであればそれはまるでヒンドゥー教や仏教が認識している「生まれ変わり、死に変わりして生命(ジワJiwa:Jiva)が継続してゆく」という教えそのものであります。

さてバパは多くのトークでリンカネーションについて語っておられました。

そして今まではその事はあまり表には出てきていませんでした。

バパがイスラムであったせいか「これほどヒンドゥー教や仏教に近い認識を持つことはあるまい」という先入観があった為かと思われます。

しかしながら、そのような先入観はどうやら間違っていた様です。

そういう訳で、以下、バパのトークから関連する部分を引用します。

引用したトークのリスト
October 8, 1957 - Bapak
November 11, 1957 - Bapak
November 22, 1958 - Bapak
June 30, 1959 - Bapak
August 7, 1959 - Bapak
March 28, 1960 - Bapak
Q&Aの編集 1971 - Bapak
February 3, 1974 - Bapak
October, 16 1977 - Bapak
October 20, 1977 - Bapak
11月12日1977- Bapak
December 11, 1977 - Bapak
Febuary 3, 1980 - Bapak
April 8, 1984 - Bapak
April 21, 1984 - Bapak
July 8, 1984 - Bapak
June 11, 1985 - Bapak
2月27日 2015-Ibu
2月5日 2016 -Ibu
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October10月8日, 1957 - Bapak
だから、完璧に達した人間は、神の恵み、神の贈り物を受けた人は、死ぬ時に死ぬことはなく、むしろ生きることが始まったと言われています。

あなたが忘れることのない例として、私の子供たちよ、それはキリスト教の中で語られています。
そこではイエス自身が預言者です。
預言者イエスが死ぬことはありませんでしたが、彼は終わりのない生命を生き続けました。
これは単なる例です。 
(そしてそれは)バパが言っていることが真実であるかどうかを判断する際に考慮できる点です。

しかし、まだそのレベルに達していない人、またはバパが言っているように、彼らが死んだときに欲望の体(nafsu)を持っている人は、事実を全く理解できません。
その人は死んだことに気付かないでしょう。
これは、そのような人の内部は彼らの起源に戻り、本来の人間のレベル(ロハ二)に戻らないのです。
もともとその人はそのレベル(ロハ二)より下から来たからです。
その結果、彼らの欲望(ナフス)と共に残された人間は、想像していたものの中をさまよい、彼らが地上にいたときに彼らが多く考えた事柄の中でさまよいます。
(注:幽霊といわれる存在になる、とバパは言います。)

それはそうです。
それが、仏教において、生まれ変わり(reincarnation)が事実であると言われている理由です。
確かにそうです。
しかし、それは神への道に迷った人、または完璧への道に迷った人にのみ適用されます。

このため、仏教には以下の教えがあります。
人間はすでに高いレベルに達していれば、その人は輪廻転生から自由になり、この世界から自由になります。
これは、彼ら(仏教徒)が少し前にバパが生命力と呼ぶ精神(ロホ)の本当の性質を理解しようとする理由です。
それは物質的物体、植物、動物、および普通の人間存在に由来するものです。

これらの力についての知識が不足しているため、(真の)人間の魂やそのような高レベルに達していない人の魂は、その魂よりも強い力(注:4つの低次の諸力)が働く場所では簡単に迷うことがあります。
これが生まれ変わりです。
しかし、私たち自身が望むことは、可能な限り、もし神がそれを許せば、 もし神が私たちにこの贈り物をもたらせば - これ(輪廻転生reincarnation)を体験しません。

私たちは真の人間のレベルよりも低い場所に私たちが戻って行かないように神に願います。
言い換えれば、私たちが本当にどこに帰るべきかを知りたいと思っています。
そしてそれは完璧な人間の起源の場所です - 人々が通常それをインカンカミルinsan kamil と呼ぶような、それは完璧な人間、私たちが現在生きているこの世界からは分離している人間を意味します。
私たちは、死後、私たちがこの世に再びではなく、本当のこの世の後の生命を経験することを願っています。
(注:そのような魂のレベルに上昇する為のこの世の生活のやり方、すごし方が重要であるとバパは言います。)

この世界はこの世の後の生命世界ではありません。
このため、人々は通常、天国を語ります。

我々は、人間以下の力(4つの低次の諸力)により圧迫される事なく、そして私たち自身の欲望(ナフス)から自由になった後、これらの天の領域に入ることができます。
そしてこれ(ナフス)は私たちのレベルよりも低いレベルのこれらの力(4つの低次の諸力)との関係を絶えず利用しています。

訓練(ラティハン)では、私たちはどんなものでも、自分たちの欲望や、私たちより下のレベル、そして過去に人間によって創造されたもの、つまり言い換えれば、願望の力によって作られた、「イズム(~主義)」、またはスピリチュアリズム心霊主義)、またはそのように呼ばれる創作物との関係を持ちません。

これは、これらの欲望が、奇妙な能力を持つ人、他の人の力を上回る力を持つ人と見なされることを可能にすることを除いて、それ以外の目的はなく使い道はないからです。
このようなことの結果として、人は人間以下の力(注:4つの低次の諸力)に強く縛られ、非常に緊密に拘束されるようになります。
最後にそれら(注:4つの低次の諸力)が完全に道を塞ぎ、そうして完全な人間のために準備された天の領域に入ることができなくなります。

そういうものなのです。

November11月11日, 1957 - Bapak
このトレーニング(ラティハンlatihan)はそれとは対照的です。
これは崩壊し、内部から流出するので、あなたは徐々に人間の領域外の状態と接触しそれを知る様になります。
最終的にこの訓練(ラティハン)で、あなたはこの地球の外のものを知ることができます。

もう一方は、バパが言ったように、すべての種類の混乱を内部感覚にもたらします。
バパが似た様な例をあげるとするならば、すべてを自分の中に持っていくことは、あなたの家から物事がどのようになっているのか見る為に(外に)出て行くのではなく、家の中に入って自分を閉じ込めるようなものです。
それで、あなたが知っていることはすべてあなたの家にあります。

それが違いです。
ある日、あなたがそれを受け取ることができれば、あなたは自分自身で知り、この違いに気がつく様になります。
あなたはあなたの家から出て、この地球を包囲する生命の偉大さを知ることができます。
また(その時にはあなたは)この地球を越えるので、あなたは生まれ変わりの対象にはなりません。

私たちは長い間ここにいました。
私たちは疲れています。
それで、もしできるならば、出口を求めています。

もう一つのものは、瞑想の練習(注:バパが体験したもの)、そして自分自身を黙らせることは、本当に外に出る道を探しているのではなく、ホール(穴)への道を探しているのです。
バパが人間の自己の内部のホールや家を指しているとき、バパは人間の自己の中にあるものすべてを意味するのです。
人間の下にある諸力は、物質的または悪魔的、野菜または植物の力、動物、そして人間です。
(注:4つの低次の諸力の事)
これらのために、生まれ変わりがあります。

あなたがあなたの家の中だけにいて、後で死ぬと、あなたはここにいるかもしれません。
植物のレベルにいるかもしれませんし、動物レベルにいるかもしれないし、人間のレベルにいるかもしれません。
言い換えれば、ここに戻ってきます。(注:この地球という世界に戻る)
そしてあなたは正しい形ではなく間違った形で戻ってきます。

(しかしながら)あなたが受け取ったものはそうではありません。
それは内部からきれいにしていきます。
もちろん、きれいにする事は家の中に何があるかによって異なります。
すべての種類のものが積み重なっていて、家の中に猫、ねずみ、犬、牛、水牛、花の鉢が並んでいるなら、当然のことながらきれいにするには多大な労力が必要です。

November 22, 1958 - Bapak
人間の内部にある魂の病気をどうやって表現することができますか?
魂は人間の中の内的な内容です。
それは人間が思考し、感じ、行動し、それを行うことを可能にする内容です。
しかし、人間のこの内容が本当に(完成された)人間の魂である、ということは決して確かな事ではありません。

これは、非常に高度なレベルで学んだり、すべての種類の資格や地位を持っているにもかかわらず、少なからずの人たちは、無意識のうちに、人間の行動規範に反して違反する行為を行うのであり、賢明な人ではないという証拠があります。
その理由は、自分たちの存在の内容、すなわち魂は、本当に神への約束を守ることができる(完成された)人間の魂ではないということです。

それは間違った低い魂で満たされています。
彼らの過失のために、彼らの強要され、妨害された行動のために、彼らの存在の中には間違った内容や魂、すなわち(完成された)人間(のレベル)に至っていない魂があります。

これは仏教で言及されています。
それは彼らが生まれ変わりと呼ぶものです。
つまり、人間の魂にはレベルがあり、人間の状態がまだ完全ではない場合、彼はおそらく上昇することはできず、また生まれ変わります。

ですから、これは重要なことですが、私たちを再び生まれ変わらせるブロックは取り除かなければなりませんが・・・(聞き取れない)・・・この世のものよりも万能です。

さて、なぜイスラム教とキリスト教には、生まれ変わりのようなものはないのでしょうか?
その理由は、キリスト教イスラムという名前が「完全な人間の状態」を意味するからです。

しかしながら、これらの宗教に従う人々はまだ(完全な人間ではありません)。
したがって、宗教は本当に生まれ変わりを好みませんが、かといってその信者は自分の宗教が必要とするものを常に完全に行う、と言う事ができている訳ではありません。
(注:つまり死に臨んで輪廻の輪から逃れられるかどうかは定かではない、、、と言う事になります。)

June6月30日, 1959 - Bapak
物質から人間まで - レベル1から4まで - 私たちは、思考の心、私たちの感情心、そして欲望を静めることによって、これらの4つの力を実際に見極めることが可能です。
これらの力は依然として人間の意志と結びついているからです。
だから、人々がまだ感情心と頭脳の力を利用している限り、彼らは元に戻って再び人間になる必要があると言われています。

これについてはあなたが読んでいるかもしれないのですが、生まれ変わりと呼ばれるものです。

しかし、あなたが神によって祝福され、より高いレベル(普通の人間より高貴な第5レベル)に上がることができるなら、あなたはこの世界に戻って再び人間になることを望まないでしょう。

実際には、人間は皆、あなた方もそうですが、満足感を持っていません。
あなた方に触れるすべてのものの影響を受けるからです。
たとえば、あなた方は寒さの影響を受け、冷たいものによって影響を受けます。
熱によって、熱いものによって、あなた方はこれとその影響を受けます。
あなた方はまだこれとそれに苦しんでいます。

August8月7日, 1959 - Bapak
物質力からロハ二まで、それらが働いた時に、それらが影響を内部感覚に与えた時にどのようになるかを感じ取る。
その世界に引き込まれた時にどうなるかを前もって知る事ができる。

このような仕方で私たちは、これらの力のそれぞれの世界に住むこと、その世界に滞在する事は、どの程度に心地よいかという真実を感じ、知る事ができます。
またこのような仕方で、あなた方はそのうちのどれが他のものと比べて、自分にとってより心地よく幸せであるかを間違いなく選ぶ事ができるでしょう。
ですからじぶんでは気がつかない内にある物体に、ある植物に、ある動物に、またはある人間に強制的に生まれ変わらせられるということにはならないでしょう。
その代りにあなた方は人々が完成した人間の世界と呼んでいる、あの祝福された世界(ロハ二)に帰還する事ができるでしょう。
(注:ロハ二の力を感じ取るには、その人がすでにロハ二 レベルに到達している事が前提となります。)

March3月28日, 1960 - Bapak
すべてがきれいで良ければその場合のみ、私たちはロハニ精神(ロハニ スピリット)を見つけることができます。
その場合のみこの精神が私たちの内部感覚に現れ、私たちがまだこの世にいる間に、我々は実際に私たちの人生がどのようであるのか、この世界についてだけでなく、死後に私たちの人生がどのようになるのかを体験することができます。

だから、一般的な人々の場合、あなた方の様に、まだ清潔ではなく、依然として欲望、感情心、思考心によって非常に支配されている場合は、ロハニの力を受け取り、感じることは本当に非常に難しい。

あなたがまだ低次の諸力、すなわち物質的、植物的、動物的、身体的な人間の力の影響を受けている限り、あなたが死ぬときにあなたは上ることができなくなります。
あなたが死ぬと、あなたが上ることは不可能です。
あなたはまだここに戻らなければなりません。

そしてここに戻ってきたら、あなたが人間として戻ってくることは確かではありません。
たとえばあなたは物質的な物体、植物、動物として戻ってくるかもしれません。

だからこそ、ここ(カルカッタ:インド)や他の場所で、動物は特別な扱いを受け、聖なるものとみなされます。
登ることができず、この地球に戻って動物の体に入った人の精神によって動物が占領された可能性があるからです。
これは通常、生まれ変わりと呼ばれるものです。

多くの人がいます 。
バパは彼らを非難しているわけではありませんが、まだ石を崇拝する人がたくさんいます。
彼らは自分の想像力で石を描き、それらのことを考え、自分たちよりも高いと考えます。
それで彼らは石を礼拝する。 
それはそれらの(崇拝対象となっている石の)祝福、恵み、恩恵、祈りを求めることを意味します。

これはなぜですか?
登ることができない人が石の中、物質的な物の中に戻ってきたことが本当に起こったからです。
その石にはある種の力があります。
しかし誰が石を強力にするのですか?
かなり単純に(言えば)、人々自身です。
特に偶像(石や金属、木材でできた聖なる者の像)の場合。
毎晩あなたはそれの前に自分自身を伏せ、花と香を置く。
毎晩あなたが眠りにつく前に、あなたはこれらのことを行い、結局それはあなた自身よりも強力になります。
・・・・・
それが、宗教において、神が使徒たちに、人々がそのように行動すべきではないという指示を授けた理由です。
彼らは人間としての自分自身のことにもっと注意を払うべきだということです。
人間の生死は自分の体の中にあります。

だから、あなたの体を外側から内側に、内側から外側に向けて見ないと、あなたの自己は、人間の目にも、神の力の前にも、何の価値もありません。
だから、私たちの内部感覚の観点からすれば、この人体はまったく役に立たないという事になります。

そして、この世界において、物質的なもの、植物、動物、そして人々自身の身体的な生命力よりも賢明で、より能力があり、より知性的なこのような完璧なからだ持つ神の創造物という人間存在を作り出した意味がなくなります。
これらが、なぜこの世界の一部の人々の生活が暗くなっているのかの理由、そしてなぜ彼らがこの世で生きて幸せになるかについて、彼らが失敗しているのかの理由です。

実際、人間は知性と良心を持つ存在としてこの世界に創造されてきましたが、これは私たちがより多くのことを成し遂げることができ、他の存在よりも崇高な性格を持つことができるということを意味します。
他の存在とは、すなわち、物質的な対象物、植物および動物の事です。


Q&Aの編集 1971 - Bapak
A Compilation 
生まれ変わりとラティハン

バパはあなたがラティハンで受け取ったような経験が実際に協会に存在することを確認します。
インドネシアや海外の多くの兄弟も同様の経験をしています。
これは我々のラティハンが非常に幅広く、すべてが自分の本性と合致することで満たすことができるからです。

あなたがすでに知っているように、ラティハンでは我々は、全能の神の力によって動かされます。
そしてラティハンの本質は、粗い部分から細かい部分へ、それからジワまで、全体を生き生きとさせることです。
それは最も低い位置から始めて最も高い位置に達します。
これは、私たちの体、粗い部分と微細な部分の両方が良好になることができるように、また私たちの欠点のために(本来あるべき位置から)陥落したジワdjiwaの為にも必要です。

私たちの生命の発展から、上記のように神から進んで、私たちは自動的に完成に向かって自分自身の変化と改善を体験します。

例えば、私たちがラティハンの中で受けたのは、以前は私たちが王、司祭、非常に豊かな人などとして住んでいたことがあれば、 あるいは以前は象、牛、蛇、虎、猿など動物としても生きていたと言う事です。
これらのすべては、私たちの内面的な性質が完璧な状態に改善できるように、きれいにされ、修理される必要があります。
そして最終的には私たちは過去の様に(昔生きた姿で)再び生きる必要はありません。

生まれ変わりについて教える宗教的な社会がありますが、生まれ変わりは実際には段階に過ぎません。
なぜなら、それは言われているように、もし人が美徳の段階にまで達したなら、彼は全能の神によって必要とされない限り、人として再び生まれ変わらないでしょう。

このすべてから、転生の問題は協会のラティハンに存在するが、以下の違いがあることは明らかです。
協会での生まれ変わりは、人間の生命過程であり、人間の欲望ではなく、神の力の働きで行われます。
それで、私たちは自分自身で簡単に浄化と改善を体験することができます

これの証拠はすでにラティハンで与えられている。
(ラティハンの中で)多くの兄弟たちが司祭、富豪、有名な男、貧しい男性、愚かな男性などとして自分自身を表している。
そして野生動物であったり、飼い慣らされている動物として(自分自身を)表している人たちもごく少数ではありません。

これらはすべて霊的な経験であり、本当に浄化される必要があります。
そして最終的には完璧な状態に達することができます。
それはすべて私達が今受け取ったラティハンに関連して目撃するかもしれない生まれ変わりの主題に関するものです。

したがって、あなたがこの問題のあなたの経験を(他の人に)説明したいのであれば、そうして下さい。
但し、それらが経験のみで構成されていることが明らかにされている場合に限ります。


February2月3日, 1974 - Bapak
古代史では、化身(incarnated)と呼ばれるものがこれに似ています。
しかし協会では、化身は固定的な確実性ではありません。
いいえ。この化身は現実に存在する必要がある種類のものではありません。
したがって、化身の性質は落ちる可能性があり、上昇する可能性もあります。
何故ですか?
この種の化身は自分のカルマによって引き起こされるからです。

(他方で)ラティハンでは、それはカルマのためではなく、自分の欠点のためだと(主張します)。
(通常の状態では人は)人を覆っているもの(ナフスnafsu)から分離して受け取り、感じることは決してできません。

October,10月16日 1977 - Bapak
たとえば、ブッダ
仏教では天国に行く人の事は誰も聞いていません。
あなたはブッダが天国に行くという事は聞きません。
仏教で経験していることは、あなたがこの世界に再び帰ってくることです。(注1)
これはまた、生まれ変わりとも呼ばれるものです。

したがって、アンワスと感情心と思考心と自分自身の力を使いたい人が達成したことは、常にこの世界に限られていることは明らかです。(注2)

しかし、アンワルの子孫はまったく異なっています。(注2)
なぜなら、彼らは全能の神の意志によって本当に天国に行くことができたからです。
そして天は想像上のものではなく、彼らが体験できる本当の天国でした。

例えば、イエス・キリストです。
3日後に十字架につけられた時、彼は大きな輝きと大きな光を経験しました。
これには誰もが見ることができる出来事が伴いました。 
地球が揺れ、激しい嵐が起きたのです。

October 20, 1977 - Bapak
神を礼拝する際に彼らの感情心と思考心を使って得たものは本物ではなく真実ではありませんが、逆にそれは人間の内部自我に損害を与え、人間は悪魔の世界に失われます。
そしてそれは物質的な生命力の世界です。

これはそういうことなので、兄弟姉妹の皆さん、バパはあなた方にそのような影響が及ばないようにあなた方に思い出させるだけです。
これらは物質的な影響、物質的な力の影響です。

それが仏教徒が生まれ変わることを望む理由です。 
彼らはまだこの世界に戻ることを望み、そうして彼らは、彼らが望むすべてを持っている人のような、豊かな人のような、権力を持つ優れた人々として戻ってくることができます。(注3)

11月12日 1977- Bapak
インドでも、アンワスの道は行きわたっています。
その道を進む人々は、 善い人生を送り、苦行を実行し、この世において厳しい自己否定を企て、それによって、「ミカ(Mika)」すなわち死後「この世を離れる」ことができるような人になれと他の人々に勧めています。(注4)
しかし、彼らにとって、 「この世を離れる」とは、死後に再びこの世に帰って来る立場になり、今度はどんな転生をするかを選べるようになるという意味です。
ですから、 おそらく、彼らは王様や金持ち、または大統領として戻って来る道を選ぶことでしょう。 (注4) 

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注1
仏陀は天国にはいかなかったかもしれませんが、転生はしませんでした。
輪廻からの解脱者としてmokṣa(モークシャ)あるいはニルヴァーナ(梵: nirvāṇa, 涅槃)に上ったと言われています。<--リンク

そうしてこれが良く知られているように、仏教の目指す所であります。
仏教ではバパが言うように「良い暮らしをするために現世に戻るのが目的」とは言っていない様です。

注2
アンワス、アンワル、サン ヒャン シスSang Hyang Sisについてはこちらの記事を参照ねがいます。<--リンク

注3
仏教ではこの世を「苦」とみます。
そうして、この世からの離脱、輪廻転生からの離脱を希望するのです。<--リンク

そうであればどのような理由をもってバパは「仏教徒は現世に戻りたがる」と言うのでありましょう?
そのような主張をするバパについては理解に苦しむものであります。

注4
ミカ(Mika)については探しましたが、分かりませんでした。
現時点では詳細が不明なコトバです。

加えて「インドでも、アンワスの道は行きわたっています。」というのがヒンドゥー教の事をさすのであれば、「良い暮らしをする為に現世に戻りたがる」という指摘は誤解でありましょう。
ヒンドゥー教の生まれ変わりについてのスタンスはこちらの記事を参照願います。<--リンク

その記事にあるように『輪廻転生からの解放を達成し、ブラフマンの不滅の世界に入り、彼らが最高自己Supreme Selfとの統一の状態で永遠に解放される』のが目的である事が分かります。

 

PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク