ラティハン日記・掲示板

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スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力の性質と働き

スシラ ブディ ダルマの中では物質力の性質と働きについては、それぞれ例をあげて個別の形での説明をしています。

しかしながら、その説明では人の生活について与える影響についての全体像はなかなかつかみにくいのであります。

バパはスシラ ブディ ダルマを発表した後も多くのトークで物質力の性質とその影響について語っています。

以下はそのようなトークから関連していると思われる部分の引用です。

そういう訳で以下のものはスシラ ブディ ダルマを補完するものとなります。
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7,20, 1957 - Bapak   
今説明した物質力から普通の人間力までの力は 常に人に同行し、この世界では、人間の生活を強化します。
これらの力は、人間自身の中にも存在します。
バパはそのように、このような力は、人間の外側と、人間の内側、両方にあることを述べています。

これが外部から入力する力が内側にある力によって受け入れられ、相互作用することができる理由です。
そうして、それらが地球上の人間の生活のためのフレームワークを構成するようにします。

あなたはこれらの力が人間を支配する力を持っていないことを知っている必要があります。
しかしながら、人間は自分自身の情熱(ナフス)を有するので、(人間は影響を受けます) 。
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物質力は人間の内部感覚の中に見いだせるものの中では最強です。
今バパが装備であると説明したもの、つまりナフスを使う事によってひとたび物質力が人間の内部で影響力を獲得すると、先ほど説明した人間レベルより下の三つのナフス、aluamah, amarah 、sufiyah.を使う事によって、その人の中身が物質力によってさらに補強されます。
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人間の中で支配権を握っているのが物質力であり、そしてまた上記の三つのナフスであるために、人間の感じ方や働き方、行動し理解するための意欲を呼び出すやり方はほとんど全面的に物質力によって強さを与えられ、物質力によって満たされています。
このような理由で人類のこんなに多くの人が物質力の影響を自分の理解や意識から取り除けないでいるのです。
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人間の内部感覚に影響を与える他の力、植物力や動物力、人間力についても同様なことが言えますが、しかしこれらの力は人間の内部でそれほど強くは働いておりません。
なぜなら人間の意志と欲望は他の力よりも物質力をより好んでいるからであります。


9,29, 1957 - Bapak
人間のパートナーになってきたこれらの力(低次の諸力)に加えて、人間は神の意志により、彼が必要とする欲求(ナフス)を有し、それが活動的になり、働くための気持ちを人の中に起こさせます。
これらの欲求(ナフス)の巣は、人の心にあります。
それは人間の意志の心の中にあります。

7,8, 1970 - Bapak
もし人が物質の生命力の影響を受けていなかった場合は、人は衣服や住宅の事は何も知らないだろう。
また人は車、電車、飛行機、などの生活を支えるものを作る事はできないであろう故に、この世界での人間の生活の方法を維持することができないだろう。

11,5, 1970 - Bapak
明らかに、あなたは物質力からなるナフスamarahを取り除くことができません。
もしあなたがそれなしでやった場合は、またはあなたはそれを後に残した場合は、あなたは、今のような家屋、衣料品、機器類などの物質的なものについて知らないだろう。
それはあなたの生活のために働くもの、たとえば遠隔地への旅行をスピードアップするような機器などです。
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物質力のナフスがなければ、人は荒っぽくて毒を持つ動物の攻撃から身を守るための道具を使用することができないであろう。

8,23, 1971 バパ
あなた方は、もし人と物が分離した場合は、人は家、衣服、さらにはお金についての知識がないだろうと言う事がわかります。
もし神が「あなた方の中には物質力がなければならない」ということを命じていなかった場合は、あなた方は、物質的なものを知ること、考えること、あるいは注意をすることすらできないでありましょう。
だから物質はあなた方の外部だけでなく、明らかにあなた方の中も存在します。

11,26, 1972 - Bapak
ナフスは生命力にその起源を持っているためです。
物質力が人の内部自己(inner self)の中を循環するとき、物質力が人間の心や思考の中を循環する際に、それはナフスamarahの性質を帯びます。


ナフスはあなたに、生活の為の費用を得る必要があり、そのための仕事をする意欲を供給するので、人がこの世界で生きていく上では非常に有用です。

5,27, 1976 - Bapak
なぜこちらとあちらが一致せず、調和していないのか?
それはお金のため、生活に必要なものを手に入れる事が必要な為です。

人はお金のために神に祈るか、仕事がうまくいくことを神に祈るべきである、そうすれば彼は昇進できるだろう、、、とか、彼らは非常にお金持ちになれますようにと神に祈ります。
このような人々は、低次の諸力とamarahと貪欲の情熱によってまだ影響を受け、まだ汚されています。

5,21, 1981 - Bapak
物質力は人の心に関連しています。

6,18, 1981 - Bapak
この物質力、ロホ rewani、または悪魔的な生命力、それと一緒に働くことができる、あるいはそれとハートとマインドが並行して働ける。
こうして人は彼がこの世界で彼の人生のために必要なすべてのものを作成することができるのです。


6,26, 1984 - Bapak
人間と物質との間のつながりは、ハートとマインドによるものであり、したがって、ハートとマインドは、物質の力の源です。
物質の影響から逃れようと試みる100万人のうち、多分一人のみが成功することができます。
問題は次のとおりです。
この影響から自分を解放するためには、人は死ぬ必要がある、、、ということです。

1,19, 1985 - Bapak
物質力の影響によって人の内的な視界が暗くなります。

5,9, 1985 - Bapak
人々は物質的なものが好きです。
彼らは、彼らの心でそれらを作成します。
あるいはそれらを作り上げ、有用な対象物にそれらを形造ります。
だから、物質的な対象物は非常に密接に人間の思考する心に結びついています。
もしビルについて何も考えていなかったら、この建物はここには存在しなかったでしょう。
人の思考する心は、この世界で彼の人生のために非常に重要です。
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物質力は人々をお互いに非常に積極的であるようにする為に、その結果として戦争が起こるまでになります。
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その物質的なナフスが誰かをしっかりとつかんでいる場合、その人は、悪魔に魅せられていると言うことができます。

6,17, 1985 - Bapak
私たちはナフスamarah、または物質力のナフスの作用によって常に妨げられ、乱されています。
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言い換えれば、そのナフスで、人の存在の中の生命力で、人は服や家を作るために物質的なものを使用することが可能となり、空中を飛ぶことが可能な乗り物や事物を作成することができるようになります。
そうして今日では、人は宇宙空間で要塞を建造するためにそれらを使用することができます。
そしてこれは、物質世界の範囲のことです。

6,24, 1985 - Bapak
そして、これらの物質力は、私たちの一部であり、その力が、私たちの周りの物質的な世界に私たちを関わらせることを可能にします。
そうして、そうでなければ私たちは全く生きていけないでありましょう。

私たちは建物を建てることができないだろう。
私たちはどのような種類の文明であれ、持つ事は出来ないでしょう。
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どのように物質力が私たちの邪魔をすることができますか?
なぜ我々は物質力を管理することができませんか?
そのようにできない理由は、この物質力が私たちの思考に非常に近く、密着しているからです。
それは実際に私たちの周りにあるすべての物質的なものを作り出したものが、私たちの心であるからです。
それゆえに物質が私たちの思考に近いのです。
(引用注:思考によってほとんど思考と一体化している物質力を管理する事は出来ない、、、ということです。
それはちょうど靴ひもを持ち上げる事で、自分自身を空中に持ち上げる事が出来ないのと同じ理由であります。)
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物質は必要性を満たし、それが強烈に我々の思考に縛られているので、そのために物質が私たちの思考の上に巨大な影響力を持っており、私たちを支配することができ、物質が私たちを支配する力を獲得することになります。
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だから、この物質力は純粋に私たちがこの世界に住んでいる間の時間のための暫定措置であることは明らかなのです。
従って物質力がわたしたちの生死を握るような力を持つべきではありません。
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明らかに、物質それ自体が思考を介してのみ力を獲得します。
もし何の思考もそこになかった場合には、物質は無力になります。
ちょうど石や木がそうであるように。
だから、思考が物質を強力な何かに変換しているのです。

7,2, 1985 - Bapak
物質力がなければあなたは、このような建物を建設できませんでした。
あなたは服を知らないでありましょう。
あるいはあなたは、ドルあるいはお金を知らないでしょう。
それらは物質であるために、それらは存在しています。
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したがって、そのナフスは私たちの敵であり、ナフスの中では我々は、穏やかで平和的ではありません。
そして私たちは神を礼拝する時間を持つ事がありません。
その理由は、物質的なナフス、nafsu amarahの故にであります。

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こうして物質力は「我々がこの3次元の物質世界、地球の上で生きてゆく為には必須の存在であり、我々が十分に注意して管理しながら使うべき存在である」というのがバパの主張であります。

しかしながら、すべて物事は二面的であり、この有用なものには強い副作用があります。

そして、それを一言でいうとnafsu amarahということになるのでした。<--リンク

PS
それにしてもどうして二代目はナフスの事を低次の諸力と表現するのでしょうか?

バパは決して低次の諸力とナフスを同一視するような事はなさいませんでした。

たとえばFebrurary 14, 2003 - イブのトークから
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私たちのこの世での生活の中で私たちは低次の諸力から自由になることはありません。

我々が知っているように、これらの低次の諸力は次のものです。

aluwamah, amarah、supiah、およびMutmainnah。

これらの力は本当に存在し、そしてそれは我々がこの世界での生活のために私たちに備わっているという事が神の意志です。
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生命世界は7つの層をなして存在しており、そこには全部で9つのロホがそれぞれの働きを持って存在し、そうして4つの低次の諸力と4つのナフスにはそれぞれの対応関係がある、というのがバパの基本的な主張であります。<--リンク

確かにこの事は知覚し認識する事、そうして理解する事はなかなかに難しいことであり、状況を複雑にしている様にもみえますが、そうであるからといってバパの主張を変更されるような事を何故に「バパのコトバを変更してはならない」と主張される、まさにその本人であるところの二代目がなさるのか、とても理解に苦しむのであります。

そしてそれは実際の所「スシラ ブディ ダルマ」を無視し、あるいはバパの主張の根幹を無視しているようにも取られかねないものなのであります。

 

連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

 

PS
バパは熱心にエンタプライズの事、そうして社会とのかかわり合いの事を語られました。

そうして、前述したようにエンタプライズと物質力は結びつきが非常に強いのであります。

しかしながら二代目はエンタプライズの事を語るのにあまり熱心とは思えません。

物質力の事を語らない二代目の、そのあたりの事はこちらの記事も参考になります。<--リンク

PS
物質力を管理状態に置く事は人間の力では無理であります。

それでラティハンが存在するようになりました。

これは人間をこえた力が働く修練方法です。

「このような方法でない限り、もはやこの強大な物質力を制御すると言う事は出来ない」というのがバパの主張です。

そうして、ラティハンの結果として、物質力が制御される事の結果として、あるべき所、本来の場所に物質力が収まることで、過大な強制力を使って無理をするということではなく自然にナフスamarahで象徴されているような欲望が変化していく、抑えられていくのであります。