ラティハン日記・掲示板

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インドネシアのクバティナン事情3

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

「ジャワの宗教と社会」福島真人著より、、、。

1、インドネシア独立後の宗教史について、、、

インドネシア独立後の宗教史、とりわけイスラム以外の宗教にとっての宗教史とは、まずもってこの宗教行政内でのイスラムドミナント(支配的、優位に立つ)という事態に対する対処の歴史といっていい。

そこでは、まずもって「宗教」という概念はイスラムをモデルとして組み立てられ、他の宗教もそれに従うよう強制された。

そして結局インドネシアで公認されるべき「宗教」は五大宗教(イスラムカトリックプロテスタントヒンドゥー、仏教:注1)となり、それ以外に「宗教」という概念を適用することができなくなった。

その結果インドネシアの行政的文脈では、新興宗教という概念そのものが使えなくなったのである。

そしてクバティナンの闘争とは、このように「宗教」という概念の幅が徐々に確定されていく過程で、事実上の新興宗教である彼らに、どのような法的ー政治的地位を与えるか、という内容のものである。(P104)


最初は独立に関連してのパンチャシラの宣言でした。

1945年6月1日  パンチャシラがスカルノにより発表された

そうしてそのパンチャシラの最初に登場する宣言、「唯一なる神への信仰」は全てのインドネシア人が要求される事になりました。

次は公認宗教の決定です。


1965年  バパの協会を含む多くのいわるゆる「新宗教」は厳格なイスラム教徒とキリスト教団体からの圧力の下でのスカルノ大統領決定により「宗教」とはみとめられなかった。

これによって今までいわゆる宗教とされていたもの、世界宗教(すべてインドネシアの外からきたもの)と新興宗教インドネシア生まれのもの)が分離されました。

そうして、宗教と認められなかったもの、宗派によっては「自分たちはクバティナンではない」という主張にもかかわらず、それは実質上はクバティナンと分類されることになりました。

また同年に勃発した、共産党主導と政府が主張するクーデター事件によって、反政府運動への締め付けがきびしくなり、「一部クバティナン宗派が共産主義者の影響下にあった」という政府見解によってクバティナンへの監視もきびしくなりました。


次に法的な地位が不明確だったクバティナンについて、一応の明確化が行われました。

1973年  国家政策大綱に「宗教」と並んで「唯一なる神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)という言葉が正式に明記され、これによってクバティナンは「信仰」として正式な認可を受けることになった。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)

これによりクバティナン諸派は法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)ということになった。

しかしこの「信仰」(Kepercayaan)というのは「宗教」(Agama)ではなく文化、慣習(adat)であるという解釈の下で管轄が宗教省から教育文化省に変更されることになりました。


1979年  クバティナン諸派(引用注:含むバパの協会)の管轄が宗教省から教育文化省に変更された。

宗教省(注2)は主流派がイスラムでありますが、そのイスラムからすると当然のことながら宗教>文化、慣習ということになります。

つまりは宗教が最初のものでクバティナンは2次的なもの、宗教から派生したものという見方になるのでした。(P381)

以上がバパの協会を含むクバティナン諸派がたどった歴史であります。


ちなみにPAKEMについて。

1960年 PAKEMの所属が宗教省から検察庁に移る。

PAKEM:社会信仰諸派監視機構の略称 「ジャワの宗教と社会」 P371

クバティナン諸派が社会的に逸脱した行為を取らないかを監視し、その兆候がある場合は、解散を命じる権限をもつ部局である。(同書 P157)

PAKEMは現在でもこのような監視を検察庁で継続、実施している様であります。

1963年6月1日 バパ バウル トークより
『今日、あなた方がどこにいようとも、政府は全ての事をとても注意深く調べます。
政府は全ての組織について知る必要があるのです。

政府はそれが悪い意図をもった政治的なグループであるか、もしくは、国の状態に干渉する意図をもった政治的なグループであるかどうか調査しなくてはなりません。
・・・
このことは、一般的に政治的な性質を持つ組織が多いインドネシアで起こりました。
彼等は会合を持つたびに調査されました。

しかし、私たちは(引用注:外部に対して秘密はなく)透明であり、喜んで政府に真実を述べたので、最後には法的組織(引用注:公認クバティナン)として受け入れられました。
つまり、私たちは政府に許可を求める事なく集まったり会合を持つ事が許されているのです。
・・・・・』

以上の歴史的詳細についてはこちらを参照願います。<--リンク


2、協会の主張と対応。

『・・・一番最近の大会に於いて、それを登録することが決まり、今、その草稿が、司法省--国--に登録される準備ができています。・・・

・・・それは、政府に協会を呈示するための、協会の法的基盤です。・・・

・・・協会は国家に於いて機能しなくてはならず、国は協会を法的に守ってくれるので、私たちは、協会が運営されるそれぞれの国の法律や規定に適応しなくてはなりません。・・・

・・・私たちは政府が新しい宗教を欲していないことを知っているので、協会を新しい宗教として合法化したことは決してありません。

さらに付け加えれば、協会は新宗教でもなければ、既存の宗教の一部でもありません。

会員は自分自身の宗教に従います。

このような訳で私たちは協会を宗教省の下に登録することはできないのです。・・・

・・・しかし、私たちは良い国民として、国家に於いて機能するので、法的組織を持つことを求められます。

こういった理由でインドネシアの協会は教育省に登録されているのです。

それは宗教省には登録されていません。それを変えないで下さい。

(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)

私たちは各人が宗教に従います。

つまり、各人が自分自身の宗教を持っています。

それゆえ、協会は法的には教育省に登録されています。

それは(政府によって)受け入れられているのです。

(ですから)それを変えたりしないで下さい。・・・』(2013.2.23ルンガンサリ)


『(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)』

この発言の裏には、「信仰」が「宗教」より下に見られているというインドネシアの社会的な背景があります。

いくら法的に、形式的に「信仰と宗教は同等だ」と表現してみても現実の社会はそのように認識してくれないのです。

ですから、インドネシア内で協会がより発展する為には「信仰」であるより「宗教」である方がだんぜん有利なのでありました。

それからもうひとつ。

ある宗教のブランチ、ひとつの宗派として「信仰団体」から「宗教団体」にいわば「格上げすること」は可能なのでありました。(P344~346、P365)

ですから、既存の宗教に親和的であるならば、その宗教のひとつの宗派となることも、簡単な道ではないでしょうが、それなりに可能な選択枝なのであります。

しかし協会はその公言しているスタンス「我々は宗教ではない」を堅持しなくてはならない、、、というのが二代目の主張であります。


ここにインドネシアの信仰団体がたどってきたインドネシアに固有の宗教史と協会の立場とのジレンマが見えます。

協会の主張の本質は「ラティハンは神からのものである。」ということですので、基本的には「宗教におとるもの」ではありません。

しかしながら、インドネシアでの協会の社会的な地位は「教育省管轄の信仰団体」なのであります。

そしてインドネシアの歴史的な経緯によって、あるいはイスラム優位の社会情勢によって、宗教>信仰というように認識され、「信仰」は二次的なもの、協会は宗教を補完するもの、というような立場に置かれることになりました。

結局このような見られ方はインドネシアでの協会の発展に対してはマイナスに作用することになります。


3、まとめ

信仰団体あるいはクバティナンは公認、非公認を合わせると数百にのぼるようであります。

その数百にのぼるクバティナンと協会とは別のものである、というのはバパの主張であり、二代目の主張でもあります。

しかしながら、インドネシア社会は協会をバパの主張するようなものとはとらえない、認識しないでありましょう。

事実、他の信仰団体と同様に教育省に「信仰団体として登録されているから」であります。


あるいは、「協会は宗教ではない」と主張しています。

しかしながら他の信仰団体と同様に「唯一の神を信仰している」と主張しています。

宗教でなく、そうして「唯一の神を信仰する団体」はインドネシアでは「信仰団体」しか存在を許されておりません。

もし「宗教団体」でなく「信仰団体」でない、、、としたら、それはいったいどんな「団体」なのでありましょうか?

そのような組織がインドネシアの人々に十分に理解されるとはとても思えません。

これが協会のもっている矛盾、ジレンマであります。


そして、クバティナン諸派の会員数は多くても5万人程度であります。

四大教派と呼ばれている団体でその程度でありますね。

それに対して宗教諸派は数千万人の会員数を誇ります。

これもまたインドネシアの一つの現実であります。

こうして上には「巨大な宗教団体」が存在する中で、協会は公認された信仰団体だけでも100程度はある2番手の「信仰団体グループ」の中に紛れ込んでしまい、その独自性、優位性を表現できていない様に見受けられるのでありました。<--リンク


この話、突き詰めますれば「インドネシアはたしかに協会発祥の地、なれどその地が育成に必ずしも適していない可能性もある」という事にもなります。

このあたりの状況は仏教やキリスト教がたどった歴史をみればよく分かること。

ラティハンの種は世界中にまかれました。

さて、いったいどこの地がラティハンの果実を収穫できる土地になれるのか、それは蒔かれた土地の人々の独自性、創造性に大きく依存するように思われます。


注1:五大公認宗教・・・スカルノ体制の始めにはこれに儒教が加わっていたが、のちに仏教に吸収された。(P14)

注2:宗教省(Departmen Agama)

イスラム法をもってインドネシアの国法にするわけにはいかないが、そのかわり宗教という限定した分野の管轄はムスリムに任せる、という妥協の産物である。

この省は実質的にNU(ナフタドール ウラマー)の牙城となり、彼らの主導の下でインドネシアの宗教政策の根幹が決定されることになった。<--リンク

当然、その政策のアウトラインはイスラムをモデルにして施行されるようになった。

・・・ここでアマガ(宗教)という語が、まずもってイスラムのような「世界宗教」であること。

さらにイスラムと同様に、唯一神への信仰、聖典預言者、信条、といった条件を有することが要求された。

この為最終的にイスラムカトリックプロテスタントヒンドゥー、仏教の五つが宗教とされた。(P14)


PS
『私は今、ここに於いて多くのイスラム教指導者(キアイ)が協会に入ったのを見て、嬉しく思います。』(2002.3.22ルンバン)

・・・たとえばスブドに参加しているあるキアイはイスラムの教えの補助的な手段として、スブドの訓練によるエクスタシーは重要な意味を持つと述べた。(同書 P178~179)

いやいや、ラティハンは「副食品(サプリメント)」ではありませんよ、キアイさん。

そこのところ、どうかお間違いのないようにお願いします。

PS
クバティナンの事を知る為には、以下の論文は欠かせません。
・ジャワ神秘主義の民俗誌<--リンク

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク