ラティハン日記・掲示板

ラティハンに関係したいろいろな事の掲示板です。There are many varieties of bulletin boards related to Latihan.

スシラ ブディ ダルマ・7章の2 人の世界から動物の世界に落ち込む事

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

第8章 キナンティ 45節~51節(動物力の章:一部要約あり)
『45、なぜなら人生において当然重要だとされるべきことは、単に食物を得ることだけではない。
確かに食物は必要ではあるが、完全な人間の生命(the life of a perfect human being:ロハ二Rohaniと呼ばれる段階の生命)についての洞察を得る事は私たちの取っての本質的な義務であり、その義務を果たそうという願いをもつ事は必要な事である。

46、なぜなら、そのような洞察を得る事によって、私たちはすぐに魚、つまり動物力が自分の内部でどのように働くのかについて確実に気が付く様になる。
そうして、自分の内部にある種々の(低次の)力を区別する事ができるであろう。
(注:ただし実際の所、この状態についての会員からのレポートは見たことがありません。
つまり、いろいろな生命力を見分けること、というのは、我々にとっては通常はそれほど簡単ではない、と言う事であります。)

47、私たちは又それらの力を秩序づけ、正しい方向に流してやることが出来るであろう。
それは、これらの力をそれぞれの伴侶に結びつける事で満足感を抱かせる事になぞらえる事ができる。
(注:我々が食べている食物に付随している生命力は植物力と動物力になります。
それで、生まれた時に親から譲り受けた4つの低次の力、それはこの世で人間が暮らしていく事を可能にする力でありますが、その中に植物力と動物力があります。
我々が食事をする、という事を生命力の相互作用という観点から見ますれば、外にある、食事によって取り込まれた生命力が、元から内にある(親からもらった)生命力と出会う、そうして正しく出合えれば、良い結果、つまりは体は健康になり、精神も良好に健康になるという結果をもたらす訳です。
そうであればその時に我々は「うまい」と感じ、食物に感謝する感情を感じるはずであります。
それは実に動物力と植物力が人間に対して持つ事になるであろう感謝の感情の反映でもありましょうか。
さて、この辺りの事を扱った以下のような記事もありますので、ご参照の程をお願いします。
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・3 植物の魂(植物力)-1<--リンク
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・4 動物の魂(動物力)-2<--リンク)

48、このようにして動物力を満足させるならば、人はさらに進み、被造物の長(おさ)としての彼の立場をより高める道が開かれる。
(注:動物力レベルの内部感覚Rasa diriや内部自我Diri Pribadi、ジワJiwaというレベルから人間本来のレベルであるジャスマニJasmaniと呼ばれるレベルへの向上が期待出来る様になる。)

49、言いかえれば、人間のこの行為は、もっぱら(他の低次の生命力に:それは植物力と動物力であるが)援助を与えるという性質のものではあるが、だからと言ってそれが人間の内部自我(Diri Pribadi)に利益をもたらさない訳ではない。

50、しかし、今述べた様な仕方でこれらの力を秩序づける事が出来なければ、彼らの道は暗く、闇の中で生きる事になるであろう。
(注:本来の人間としてのあるべきレベル(ジャスマニJasmaniレベル)に到達する事はできない、と言う事。)

51、このような暗闇の中では、人間の内部感覚Rasa Diriは混乱状態におちいり、人間としての(本来あるべき)地位にふさわしい前途はまったく失われてしまうと言う事ができる。
(注:生きている時に動物力の世界に飲み込まれた人は、その人生の最後に至ってはやはり動物力の世界に飲み込まれる、というのは妥当な話となる。)』


第9章 シノム 21節~25節、32節~34節(動物力の章:一部要約あり)
『19、実際には、動物力が私たちの人間的な自我の全てを左右する事は容易にはできない。
人間の性質の多くの部分は、人が注意を払いハート(Hati)の貪欲な要求に従わない限り、まだたやすく動物力によって影響される事はない。
(注:貪欲のナフスNafsu、それはアルアマAluamahスピアSupiahでありますが、その要求にずうっと従い続けてはならない、という警告になります。<--リンク)

20、はっきりいえば、人々が動物力に影響されるのは不注意からであり、それと同時に時折、人間としてあるべき様に行動しない傾向があるからである。
・・・
そして、まさにそのように行動することで、彼らの自我(Pribadi)は動物力によってさらに影響され、ついには本当は間違っている自分の行動をすべて正しいと感じ、(あるいは仕方がないものと感じ)、それが正常な状態であると思うのである。

21、このような誤った行動は動物力に何をしても良いというような活動の場所を与える事になる。
それが長く続くと動物力はますますはびこるが、その人は間違いなく(人間本来のあるべき姿)万物の長(おさ)としての地位を失う事になる。
(注:欲望にただただ従っていく事の結果はこのようなものである、というバパの主張です。)

22、もし人が道を誤り続けるとこのような事が起こります。
さらに(死後において)ひとたび動物力の世界に落ち込むと、人間の名残りをとどめたその存在は動物の生活を経験し、それが幸せと苦しみの両方に満ちた生活である事を見出すであろう。
(注:要するに動物もそのレベルにおいて幸せと苦しみを経験している、それは人の生活がその様であるのと似ているのだとバパは言います。)

23、動物の世界では、かつて人間であったというこのような存在は、もはや動物と人間の世界を区別する事ができないであろう。
なぜなら、そのための能力を(記憶と感覚Rasaを)持たないからである。
動物の世界では、彼等はすでにその世界に属する生き物のように感じ理解するであろう。
(注:このあたりの記述は、人が物質力の世界に落ち込んだ時にどうなるのか、というものと相似的であります。<--リンク)

24、これがもっぱら強欲の情熱(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)に導かれた人が誤った行動をする事で何が起こるかの説明である。
それゆえ、このような行動の仕方をやめ、動物力があなたの感覚(Rasa)を支配しあなたの進歩を妨げない様にする事が必要である。

25、それに失敗すると、単にあなた方は将来(生死を問わずに)道を失うばかりでなく、今ただちにそのように道を失うことになる。
そして、そのことによってあなた方の子孫が低いレベルの魂(ジワJiwa)を持つ事になりかねない。
(注:ここではバパは両親の行動の結果がその子供のジワのレベルを決める、という「バパのカルマ論」に言及しています。<--リンク)
・・・・・
32、このように似ている為に、感情に動かされやすく、その上人間としての自分の個性を意識する訓練(ラティハンの事)を全くした事のない人は、いとも簡単にこの動物力に影響され支配されてしまう。
もしそうなってしまえば、そのような人たちは(人生の)最後が来た時に間違いなく動物力の世界に落ち込む事になる。

33、真実を言えば、まさにその通りなのである。
しかし真実にまだ目が開かれていない人たちは、人間段階(ジャスマニJasmani レベル)よりはるか下に落ちるという可能性に気がつく事ができない。

34、だがそこまで深く落ち込んだ事の結果に苦しむのは、(この世での)最後の瞬間だけではない。
まだ人間のからだを持って生きている間ですら、彼等はもはや人間の様にはふるまわない。
これが転落の結果である。
従って実際は役割が逆転してしまう。
人間(力)は狭い生活の場を見つける事になり、一方で動物(力)はその反対に、例外的な広い活動の場所を見つけます。

35、こうした状況下では、動物力はますます強さを増し、なんでも望む事を行う事ができる。
それゆえ、動物力で満たされた人はハート(Hati)の強欲さ(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)だけに従いたがる、という傾向をもつ事になる。』

PS
動物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。

但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))地球に定められし時、それから雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事についてにはこちらから入れます。<--リンク

さて、バパは「ジワは死後も存続する」といいました。
しかしながら各自の「自己 プリバディPribadhi」 やそれに含まれる「内部感覚 ラサディリRasa diri」がどうなるのか、不明確な所が残ります。

それで、この件につきましては今後の検討課題としていきたいと思います。

PS
人間力以下の4つのロホの生命世界、それはバパ流の「輪廻転生の世界」となります。
それは地球上を舞台とし、どうやらこの現世にオーバーラップして存在しているかの様であります。
その世界を支配しているのは、従来の教説によればカルマなのでありますが、バパの説明ではカルマにはそのような働きを認めてはおりません。
たとえば、仏教によれば「人は六道を輪廻し、それぞれの世界で定められたカルマが消失する事でまた人として転生する。」とされています。
そうして「人という存在形式の時のみに解脱という事が、輪廻の輪から離れる、という事が可能になる。」と説かれています。
しかしながら、バパの説明の中のカルマにはそのような働き、機能はない様であります。
(バパのいうカルマは単に「人間が犯した誤りである」という扱いになっています。)

バパが述べている「輪廻転生の世界」からの解脱、あるいは離脱は「ロハ二世界への旅立ち」という形でトークの中に表れています。
それは本来の人間のいるべき場所であり、アダムが地上に降りる前にいた場所でもあります。
そこに到達する為には、当然のことながら普通の人間の段階、ジャスマニJasmaniと呼ばれる段階に到達し、そこからさらに上に行く事が必要になります。
そうしてまた、このロハ二の世界はこの地球上の世界ではない、というのもバパの説明であります。

しかしこの旅立ちの時に邪魔をする者達があり得ます。
それが人間力以下の4つの低次の諸力です。
現世の生活においてこれら4つの諸力との間に、合意、調整、清算、統御が完了していない時には、それぞれの諸力が旅立ちの邪魔をする、とバパは言います。
そうやって、ロハ二ではなくこの地球上のどこかの世界に引き込まれる、そう言う事の次第になるとトークでは述べられています。
・・・・・
以上の事に関連する記事、「バパのリンカネーション論(輪廻転生論)」にはこちらから入れます。<--リンク


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク