ラティハン日記・掲示板

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スシラ ブディ ダルマ・3章 植物力の性質と働き

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さて次は植物力ですが、ここでの記述も1987年発行の「スシラ ブディ ダルマ」に準拠となります。

73~97ページ・・・植物力の説明、対象となる植物的な存在と食べる事によりそれらが人に与える影響について

         ・・・並行してラティハンがどのように進行、発展していくかについての記述

以下、順不同にて植物力の章で記述されている項目を並べておきます。

体を作る働き
食事の重要性と霊的な意味
植物にとっての「食べられることの意味」
植物力が人に与える影響
稲(お米)、野菜、ココ椰子の実、筍
村人の生活と運命
都会人の生活と運命
成功した人のまねをする人の末路
仕事の意味
同僚をねたむ者
ラティハンによる修正
死後に起こること
思考力は内部感覚に従うべき
物語の内容の真偽を知ること


植物力の説明で、対象となる植物的な存在とそれらを食べる事によりそれらが人に与える影響についてのより詳細な内容については以下の記事を参照願います。
植物力の説明(1)<--リンク
植物力の説明(2)<--リンク


バパはスシラ ブディ ダルマを発表した後も多くのトークで植物力の性質とその働きについて語っています。

以下はそのようなトークから関連していると思われる部分の引用です。

そういう訳で以下のものはスシラ ブディ ダルマの植物力の章を補完するものとなります。
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6章アスマランダーラ30~31節 1952年
それゆえ子供たちよ、植物たちの状況は前に述べた物質力の状況と似ている。
違っているのは、物質力は人間の思考のみに影響を与えるのに対して、植物のエッセンス(注:これが植物力の実体)の持つ力は人間の全身の感覚に影響を与えるという点である。
この二つの力はともに人間と密接な結び付きを持ち、人間とまじりあうが、しかしながら人間にとっては単に付随的な力にすぎない。
(注:そのような状況にしなくてはならない。それらの力に支配権を与えるとしたら、それは人間の側の間違いである。)

7月8日1970 - Bapak
第二に、野菜の生命力です。
人間の生活の中に参加している植物の生命力が人間自身の中で働く場合は、それはaluamahと呼ばれるnafsuとして現れます。
・・・・・
これは野菜の生命力に適用され、それがなければ人間がこの世に生きることはできません。
長期的には、肉と血、骨と骨髄、筋肉と腱、そして残りのすべてが植物によって維持されます。
もし野菜や穀物などを食べることがなかったとしたら、あなたは確かにあなたの現在の身体形状を持っていないでしょう。
そして多分あなたの形は影のようなものであったことでしょう。

12月5日 1970 - Bapak
野菜の生命力から生まれるナフスnafsuはアルアマaluamahである。
・・・
あなたがナフス・アルアマnafsu aluamahなしで住んでいたなら、あるいはそれがあなたを離れたならば、あなたは植物や野菜について何も知らない事になります。
他方であなたは地上に住むために植物(野菜や果物)を食べる必要があります。

11月26日 1972 - Bapak
・・・・・
次にあなたはまたナフス・アルアマnafsu aluamahによって満たされるか、または力が供給されています。
これはナバティアnabatiah又は植物の生命力から生じます。
あなたはナフス・アルアマnafsu aluamah、ナバティアnabatiahの生命力を本当に持っている必要があります
ナバティアnabatiahの生命力なしではあなたは食べるという事がことができません。
もしあなたが食べるという事ことができなかった場合は、あなたはあなたの肉と血を維持することができず、今ある様な人間であることはできませんでした。
だから、このナフスnafsuが必要です。

4月24日 1984 - Bapak
これは、ロホ ナバティ(植物力)です。
ご存知のように、多くの人々がこのような禁欲主義を実践しています。
食べ物が彼らの口に来る場合を除き、彼らは食べることを望まないだろうと言う人たちもあります。
そうです、食べ物はそのために仕事に努力する事がなければ、何もせずにただ口に来るということはありません。
・・・・・
なぜでしょうか?
野菜(ナバティ)の生命力を避けるためです。
それ(ナバティ)は怒りの情熱ナフス・アマラnafsu amarahを生じさせます。(引用注1
しかし人は、これら二つの生命力(物質力と植物力)なしでやっていくことはできません。
彼がそれらを持っていなかった場合、彼は人間ではないであろう。
彼は精霊やゴースト(幽霊)として知られているものになるであろう。
・・・・・
引用注1:このトークではバパは植物力にナフス・アマラnafsu amarahを結びつけています。
そうしてこの対応のさせ方はいつもバパが行っている植物力にナフス・アルアマnafsu aluamahを結びつける対応のさせ方とは違います。
それゆえ、これはたぶんバパのトークの時の思い違いであろうと思われます。

6月26日 1984 - Bapak
ハートとマインドのnafsuの性質は、アルアマaluamahとアマラamarahで、貪欲のnafsuと怒りのnafsuです。
・・・・・
二番目の影響は野菜です。
人間に作用する植物の力は、彼のためにも(物質力と)同様に必要不可欠なものです。
それらの野菜は人間が食べる食べ物を表すのです。
その食べ物がなければ、人間は存在できないし、人間の身体は存在しません。
・・・・・
兄弟姉妹の皆さん、世界には自分が食べる量を減らしたいという多くの人々がおります。
言い換えれば、食物への依存を減らしたいのです。
ここでもふたたび兄弟姉妹の皆さん、それは人間にとっては可能ではない何かがあります。
それが不可能な理由は、人間であるためには、あなたはあなたの存在の中で物質、植物、動物、人間という4つの要素を結合する必要があるからです。
・・・・・
これらの要素の内で一つでも欠けた場合は、もはやあなたは人間であることを意味しません。
したがって実際には、あなたはこれらの4つの要素を利用し、そしてそれに依存するように制約されています。
それにもかかわらず、一部の人々は完全に食べることをやめようとします。
その結果、もし彼らがそれを達成すれば、もはや彼らは人間ではなくなるでしょう。
彼らはデワ dewasのようになるでしょう。
(訳注:デワdewas インドネシアでは多くの神々が信仰されている。そうした神々の事を指す。)
神々は実際には(我々の様な)食事はしません。
彼らはエッセンス、物の中にあるエッセンスを吸収します。

1月19日 1985 - Bapak
兄弟姉妹の皆さん、ロホ ナバティ(植物力)は人間に必要であり、そのナフスは彼らの中にもあることは明らかです。
彼らはそれを取り除きたい、そして彼らがそのようにできた場合には、彼らは食事をしなくなります。
・・・・・
もし彼らがロホ ナバティ(植物力)を捨てることができれば、
それは神が全能ではなかったことを意味します。
神はこれを人間の生命に伴うものとし、人間の生命に必要なものとしたからです。
・・・・・
ロホ ナバティ(植物力)、野菜のロホ、それがそれ自身で自然に成長するとき、それは草や木と呼ばれます。
しかし、人間がそれに近づくと、彼らはそれを必要とし、それらは人間の食べ物と呼ばれます。
それは米、小麦、リンゴと人間の生活のために重要であるその他のすべてのものです。
・・・・・
彼らはそれを必要とし、それらは人間の食べ物と呼ばれます。
それは、ナフス・アマラnafsu amarahを体現します。(引用注2
兄弟姉妹の皆さん、これなしで彼らは人間と呼ばれることはありません。
そうして、彼らは人間ではない場合、彼らはいったい何なのでしょうか?
・・・・・
(以下はこのトーク上記説明よりも前の段落での言及になります。)
この物質生命力、これは人々が最も低い力と呼ぶものであり、それらは脇に置くことができないものです。
物質的な生命力は人間自身の中にナフス・アルアマnafsu aluamahと呼ばれるナフスとして現れ、人々はその絆から自らを解放することができないものです。(引用注2
・・・・・
引用注2:このようにこのトークではバパは物質力にナフス・アルアマnafsu aluamahを結びつけ、植物力にナフス・アマラnafsu amarahを結びつけています。
そうしてこの対応のさせ方もいつもバパが行っている対応のさせ方とは真逆のものになっています。
ですのでここでもたぶんバパのトークの時の思い違いであろうと思われます。
あるいは、2回も思い違いをしたと考えるのが無理なら、他に理由があるものと思われます。
そういう訳で、この件はページを改めて考えたいと思います。<--リンク

5月9日 1985 - Bapak
神は全能であり、また人間にロホ ナバティroh nabati、植物の生命力を与えています。
もちろん、あなたがた全員が植物が何であるかを知っています。
果物を実らせる植物があり、そして米や小麦などの収穫することができる植物があります。
・・・・・
そして植物の生命力からナフス・アルアマnafsu aluamahは人間の存在内に具現化され、あなたがまだ生きている間にあなたはそれを取り除くことはできません。
肉、肌、血液は植物から栄養を取り入れ、それゆえ人間がナフス・アルアマnafsu alwamahを避けたり、捨てたりすることは不可能です。
・・・・・
6月9日 1985 - Bapak
物質力に加えて兄弟姉妹の皆さん、植物の生命力と呼ばれる人間の自己を包む別の力もあります。
それはあなたの肉、血、皮膚、神経、骨などに栄養を与える食品であり、それによってあなたはこの世界で人間として生きることができます。
あなたが食事をしていない場合は、あなたは目に見えるような人間としては存在していませんでした。
あなたがたはある種類の創造された者かもしれませんが、兄弟姉妹の皆さん、あなたがたは目には見えない生き物であったことでしょう。
それがあまりにも極端な断食や禁欲主義が奨励されたり、承認されたりしない理由です。
・・・・・
あなた方はそれを一定の限度内で行うことができます。
つまりあなた方はこの世でのあなた方の人生が繁栄するのを助けるためにそれを行うことができますが、それは正しい方法でなされなくてはなりません。
通常、食べ物や飲み物を控える人たちは、黒魔術のような人類にとって異質で奇妙な習慣に入りたがります。
しかしそれは神によって非難されるような罪にあたります。

6月17日 1985 - Bapak
二番目のものは植物の世界の生命力から生じます。
そして、この生命力は肉体を持っている人間を可能にするものです。
そう人間はこの生命力の助けを借りて、植物質を消費し、それから彼の血液、彼の肉、彼の骨髄、彼の骨と彼の存在を構成するすべてのものを作成することができます。
このすべては、植物質から作成されます。
そういう訳で非常に大きな植物の生命力の影響が人間にあります。
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全能の神を十分に満足できるような形で礼拝するために自分自身を浄化しようとして、人間はこの生命力とこのナフスnafsuからも自分自身を解放しようとします。
彼らは禁欲主義によってこれを実行します。
食品を控えることで、飲み物を控えることで、そうしてそれはまるで彼等自身を拷問している様です。
しかしこれは完全に間違っています。
これは彼が求めているものを達成することができる手段ではありません。
確かに彼はそれによって植物の世界の生命力から自身を分離することができます。
しかしその結果は、彼が期待するものとは異なるものになります。
神は人間が求めているものは何でも人間に喜んで与えます。
しかし人間はそのようにすることで、魔法と呼ばれるものや、そのようなあらゆる種類の特異な結果を得るでしょう。
だから人間がそういうことに身を落とすことは神のせいではありません。
それは人間自身の責任であって、間違ったことを追求するため、間違った方向に行くのです。

6月24日 1985 - Bapak
さてこんどはナフス・アルアマnafsu aluamahについてです。
これは、野菜や植物の生命力に由来します。
そして人間はそれが彼らの内なる自己を乱すと言う事を悟るので、やはりこの力も避けようとします。

6月25日 1985 - Bapak
さてそれからナフス・アマラnafsu amarahだけではなく他のnafsuもあります。
これらはナフス・アルアマnafsu aluamahと呼ばれるものであり、それは植物の世界から来ています。
植物は人間の生活のために必要ですか?
これらは重要でありそうしてまた必要なものです。
そうして彼らは重要かつ必要であるだけでなく、この世界における人間の生活は人間が植物を食べるゆえに存在することができるのです。

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