ラティハン日記・掲示板

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インドネシアのクバティナン事情5/

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク・

以下「IS SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD) A RELIGION?」(スブドは宗教か?)より引用

・スブドとウィルフレッド・キャントウェル・スミスWilfred_Cantwell_Smith(注1

スミスによると宗教とは、大きなものから非常に限られたものまで、宗教的(形容詞的)であったものから改められた(具体化された)何か(名詞)です。

多くの学者は、 宗教 (religion)という用語はセント・トマス・アクィナスSt. Thomas Aquinasなどの「religio」に由来すると信じています。

彼は、活力だけでなく、その活力の中でのすべての要素において最も意味のあるもの、すなわち超越との関係(Smith、124)を省略することによって学者がそうすることを述べている。

(ひとつの特定の)宗教と(定義としての)宗教の違いは、(ひとつの特定の)宗教は神への信念だが、(定義としての)宗教はすべての(個々の)宗教とは異なる(何か)ということになります。

今までの「Religio」は非常に限られており、非常に限定され、具体化され、標準化されています。

Zainal Abidin Bagir(2016)はスミスに同意し、“religion” "宗教"という言葉はキリスト教の信仰を意味し、西洋にある宗教で具体化され、適用されると主張します。

その現実から1つのカテゴリを使用することによって、新しい実体が形成されます。

したがって、それが宗教の存在論を形作ります。

例えば、ヒンドゥー教はインドの伝統であり、(現地の人には)とても身近なものであり、そしてイングランド帝国主義によって「ヒンドゥー教」として呼ばれています。
(訳注:現地の人がどのように呼んでいるのかは不明ですが、昔からの伝統であれば名前などは付けてはいない可能性が大であります。
その様な状況はたとえば日本における「日本教」にも見られる事であります。)

しかし、イスラム教徒は、イスラムを「モハメダニズム:ムハンマド主義」と呼んでいるわけではありません。

ジェロームは、宗教は神を「信じる」、経験する、そして神に関連することを指すということに同意します。

具体化Reificationは具体化の基準で標準化され、宗教の真実の本質を見いだします。

具体化の基準は、「神」であり神聖で不敬な(精神)神聖な「スージェネシスsui generis」です。

例えば、ヒンズー教は、ヒンズー教徒によって発明されたものではないということを学者によって証明されています。


インドネシアにおける具体化の意味は、積み重ねられた6つの宗教の存在です。

この見解は、宗教をアダット(慣習)から分離したSnouck Hurgronjeによって支持されています。

具体化の利点は、定義を容易にすることです(Bagir 2016:26)。

スミスによって始まった具体化の影響は、多くのクプルチャヤアンやクバティナンが宗教に分類されることです。

具体化には宗教上の要件があります。

クプルチャヤアンは、預言者がおり、聖書があり、神を信じるなどがあれば、宗教に分類することができます。

このスミスの理論に基づいた場合、スブドは宗教として簡単には具体化出来ないため、スブドは宗教ではない事になります。


1960年7月のマラン東ジャワ州のBKKI(クバティナン集団)の第4回議会は、宗教が儀式を強調し、クバティナンが内的経験と人間の完璧さを強調しますが、「宗教」とクバティナンに本質的な違いはないことを見出しました 。

しかしながら、インドネシア政府の用語を使用する場合、スブドは宗教ではない事になります。
なぜなら、1960年に宗教省はクバティナンを宗教として否定する目的で宗教の定義を提案したからです(Patty、1986:4)。

宗教省によれば、Subudは宗教として呼ばれるべきいくつかの要件を満たしていないので、スブドは宗教にはなりません。

(それによれば)グループには預言者がいなければならず、神の唯一全能である事を崇拝し、その信者が宗教として認められるための聖書と法制度(宗教法)を持っていなければならないからです。


さて、1960年に神秘的な宗派の否定的側面の影響から既存の宗教を保護するための監督組織、(Pengawas Aliran Kepercayaan Masyarakat)の頭字語であるPAKEMと呼ばれる組織の設立があった(Patty、1986:4)。

1978年、Subudを含むアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanは正式な機関として民族の代表会議(Majelis Permusyawaratan rakyatまたはMPR)を通じ政府から正式に受け入れられましたが、宗教としては認められませんでした。

しかし、正式な機関としてアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanの政府による受諾は非常に重要なポイントです。

これは、宗教省のイスラム教徒の一部は、イスラム集団の強い反対と宗教省でイスラム教徒が支配権を持つので正式な機関として(宗教省は)Subudに反対していますが、政府が他の宗教団体とともに(スブドを含む)クバティナンを支援することを意味します(Patty、1986:11)。


1961年、第5回BKKI(クバティナン集団)会議が開催されました。

彼らは、教育、情報、政治に関わるクバティナン・インドネシア連邦議会連合(Gabungan Musyawarah Kebatinan IndonesiaまたはGMKI)を設立しました。

その時、BKKIは共産主義者によって浸透されました(Patty、1986:71-72)。
(訳注:共産主義者がクバティナン集団に入り込んだ、という意味です。)


Pattyの著作(1986:115)に基づいて、SubudはAliran Kebatinanアリラン・クプルチャヤアンの他のグループとは異なるコンセプトを持っていると結論づけすることができます。
創始者が主張しているように、それ(ラティハン)は人々がすべての宗教において神の真実を達成するのを手助けする方法に過ぎないからです。

その役割(ラティハンの役割)はさまざまな宗教の間に調和をもたらすことです。

Subudには、調和のとれた関係で一緒にラティハンをする様々な宗教的背景から来たメンバーがいます。

(しかしながら)Subudメンバーへの含意は、スブドの会員が近隣から調査されている、ということです。

特にジョグジャカルタのスブド支部での異端的な行動についてです。
(訳注:場所がインドネシアですから、イスラムがベースになっており、それに対して反イスラム的な行動を「異端的な行動」と表現している様です。)

チェコスロバキアでは、Subudは警察によって調査されています(Sullivan 1991:36)。
(訳注:場所がチェコスロバキアになると、宗教はキリスト教になりますが、スブドが当局から調査された理由は不明です。)

したがって、スブドの組織は当局によって監視されています。


・宗教的実践としてのスブド

スブドはインドネシアと海外で広範囲の影響力を持ち、多数の信者を獲得する事ができたインドネシアでは初めての、そうして(そのようにできた)唯一の霊的な同胞会です。
(訳注:インドネシア発の霊的なムーブメントとしては海外進出できた初めての例である、という主張です。)

Subudの創始者はBapak Subuh Sumohadiwidjojoです。
(訳注:Bapakというのは年上の男性につける敬称であって、名前の部分はSubuh Sumohadiwidjojoです。)

彼はスマランで生まれました。

スブドは、1964年10月19日にジャカルタで政府によって認められました。
(訳注:政府によって公認クバティナンとして認められた、という意味です。
協会そのものは1947年2月1日にジョグジャカルタで設立されました。<--リンク)

Muhammad Subuhはスマランに留まり、ジョグジャカルタに移動し、最後にジャカルタに移って亡くなりました(Batubara、1999)。

「Latihanラティハン」またはプラクティスは、インドネシアでは身体運動や学校でのレッスンなどのあらゆる形の運動を意味する一般的な言葉です。

「クジワアンKejiwaan」は精神性(あるいは霊性)を意味するコトバです。
(訳注:クジワアン:KejiwaanはKe+jiwa+anという合成語であって、Jiwaに関係したもの、という意味になります。
Jiwaについてはこちらを参照願います。<--リンク)


Subuh Sumohadiwidjojoは、ラティハンの最終目標はmenunggalkanであると説明しています。

menunggalkanという用語は、単数形または単数形を意味する名詞のタングガルtunggalから由来する推移的動詞である(Kafrawi 1970:147)。
(訳注:上記コメントはKafrawiさんの理解でしかなく、実際のバパの主張はそうではないと思われます。
この事についての関連記事にはこちらから入れます。<--リンク)


ラティハン・クジワアンは神に降伏・服従する方法、あるいは道です。
(訳注:降伏・服従という日本語はネガティブな響きですが、相当するインドネシア語の本来の意味では「喜んで自分を差し出す」という意味合いになっており、否定的な意味合いを持ちません。)

それは、私たちが神の慈悲さに従うような徴候です(Arifianto、2012:3)。


新しい会員がスブドに加わり、初めてラティハンを行う機会は、「オープン」と呼ばれ、一般的にスブド会員は、オープンはこの礼拝を開始し指導する神の力と直接接触することである、という事を理解しています。

男性と女性は別々にラティハンを行います。

ラティハンを始めるには、会員はグループの人たちと一緒にリラックスした状態で立ち、自分自身の中から自発的に生じてくることに対して何であれ従って行きます。

ラティハンの体験は人それぞれで異なり、違う時に違う人とのラティハンでも又違う体験を得ます。

ある人々は、内部の振動、または体の中を流れる電気のような感覚を体験します。

動き回る、音を出す、笑う、泣く、歌う、踊る、祈るという(内部からの)動きを感じる人もいます。

あるいは、ほかの時には、ラティハンは非常に静かな内向きの経験になることもあります。

ラティハンは通常約30分間続き、通常はグループで週に2回行われます。

他の経験が得られている人もいれば、週に1回、自分自身(一人での)ラティハンを追加する人もいます。

ラティハンの効果は大きく異なります。
(訳注:人によりそれぞれ、ぐらいの意味かと。)

ある人々には、平和で漸進的な発展をもたらします。

そしてある人にとっては、人生の劇的な変化のプロセスの始まりになります。

ラティハンで始まる浄化のプロセスが進むにつれて、時には困難に直面しなければなりません。

人々は通常、ラティハンをやった直後に、リラクゼーションと幸福感を感じます。

長期的には、ラティハンは彼らは個人的な関係、家庭生活、仕事など、彼らの生活のすべての側面に浸透するので、ラティハンを通して受け取った導きを信頼する様になってきます。

人々はまた、ラティハンを行うための助けが必要です。

ヘルパーは、(ラティハン)加入に興味のある人のためにスブドのラティハンlatihan kejiwaanの基礎と目的について説明します。

彼等は待機期間を終えた人をオープンし、ラティハンを実際に感じることができるまで、ラティハンに参加する人々に付き添います。

彼らは待機期間を終えた人々のオープンがあるたびにラティハン会場に来ます。
・・・・・・

宗教研究の重要性の一つは、東洋伝統の神秘主義のような人間の行動を説明する概念を提供することです。

このSubudの場合、Barbaraは、スブドを神秘的なムーブメントとジャワの文化的環境により生み出された典型的なものの1つに分類しています(Barbara 1999:95)。

ジャワ神秘主義連合会Javanese Mystic FederationまたはBKKIを組織したジャワ神秘主義グループ(Kebatinan)のリーダー(達)は、スハルトSuharto時代にGolongan Karya(Golkarゴルカル)のメンバーになるように求められました。(注2

こうして、Aliranは法的認知に努めているすべてのジャワ神秘主義グループを幅広い単一組織に統一しようとしました。

それは1970年にジョグジャカルタで開催されたクバティナン神秘主義、魂の科学と精神の科学に関するインドネシア国家シンポジウム(シンポジウム・ナショナル・クプルチャヤアン - クバティナンとクロハニアン・インドネシア)に結実しました。

さらに、クバティナンの神秘的なグループは、ゴルカルGolkarの一員として公式に認知された機関とされ、政府は1970年12月にこの政治的な組織を支配しました。

その後、アリラン・クバティナンAliran Kebatinanという名前がアリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanに変更されました(Patty 1986:10)。


宗教研究の分野では、Subudは宗教研究に関心を持ち、宗教が何であるかを定義しようとする数名の学者の理論に基づくと、宗教であることがわかります。

第4回会議では、クバティナンと宗教の間に本質的な違いはない、すなわち宗教は正式な儀式で神を礼拝することに焦点を当てているが、クバティナンは個人の「内的経験」と人間の完成に焦点を当てている(Patty 1986、71)。
(1960年7月のマラン東ジャワ州のBKKI(クバティナン集団)の第4回議会)

この場合、宗教研究は重要であり、宗教に関連し、確立された一神教の教義重視と儀式主義への反応として説明することができる(Patty 1986:734)。

実際、アリラン・クプルチャヤアンAliran Kepercayaanグループのすべてが、他の宗教の人々と同じように神を崇拝しています。


宗教研究の面では、スブドがジャワの神秘的な宗派であり、瞑想によって内的静けさ(クテントラマン・バティンketentraman batin)と平穏さを追求していることが重要です(Patty 1986:159)。
(訳注:batinバティンとは内的なものをしめすアラビア語に語源があるコトバです。
またラティハンを瞑想というのはPattyさんの誤解です。
まあしかしこれはラティハンを経験した事がない学者さん達にはありがちな間違いです。)

スブドのヘルパーの一人は、彼女がスブドに参加したのは、日常生活の中で自分の問題を解決し、精神的な必要性であるhakikatハキカットを得るために内なる力を制御する為であると言いました。(注3

・結論

スブドとその宗教の定義に関連する議論は、特に宗教内の神秘主義の教えに関して、興味深く、宗教研究にとって重要となっています。

ユニークな現象としてのスブドは、それが宗教であるかどうかの議論に私たちを連れてきました。

ある者はスブドは宗教ではないと言い、他の人々はそうではないと主張します。

インドネシア政府は、スブドが宗教という用語から除外されるような形で、宗教として見るために必要とされる具体的な分類方法を使用しています。

対照的に、何人かの学者は、スブドは宗教であると主張しています。

なぜならスブドはラティハンlatihan kejiwaanと神秘主義の教えを行うからです。

マルクスデュルケームフロイトによれば、スブドは依存関係を作り出すことができるため、宗教である事になります。

ヴェーバーマックス・ヴェーバー)とエリアーデの両方の理論によれば、スブドは神聖なものに関連しているので宗教です。


この結論において重要な点は、宗教研究の分野で信仰の特定の実践方法についての定義の議論が研究されていることです。

スブドの事例は、国家と宗教の関係は、インドネシアの場合、宗教の実践やKepercayaan Kepada Tuhan Yang Maha Esaクプルチャヤアン・クパダ・ツーハン ヤン マハ エサと呼ばれるものの議論がまだ急ぐ必要があることを読者に示している事になります。
(訳注:Tuhan Yang Maha Esaインドネシア伝統の「唯一の神」を表すコトバです。
従ってKepercayaan Kepada Tuhan Yang Maha Esa「唯一神への信仰」という意味になります。<--リンク)

宗教の社会学的・人類学的側面は、スブドのような宗教的実践の研究の文脈においては他の重要な影響の間に存在します。』
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上記の引用部分の英文は以下を参照願います。
・Circumstances of Kebatinan in Indonesia No.5<--Link
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AL-ALBAB
第6巻第1号2017年6月
著者 Watini ワティニ
ガジャマダ大学宗教異文化研究センター
(Center for Religious and Cross-cultural Studies, Gadjah Mada University)
引用は「IS SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD) A RELIGION?」(スブドは宗教か?)からになります。<--Link

注1ウィルフレッド・キャントウェル・スミスWilfred_Cantwell_Smith<--リンク

注2ゴルカルGolkar<--リンク)

注3:hakikatハキカット
神を求める精神的旅の階梯で使われる第三段階を示すコトバ。
第一はサレンガットsarengat, すなわち神への義務をはたす外面の行為である。
第二は神に近づく道程タレカットtarekatである。
第三はタレカットをつうじて生起する現実、究極的な真理であって、ハケカットhakekatとよばれる。
第四はマリファットmarifat、すなわち神の実在についての確信に真にたどりつくことである。

人はサレンガットから出発するが、口で語り表面で行為するだけではなく、神の命令に真に心から駆り立てられてタレカットをおこなう。
タレカットはハケカットを求めるためのものであり、ハケカットに達した状態がマリファットである。
(注:サレンガットsarengatはシャリアットともいわれれ、シャーリア(イスラム法)を守ることである。
以上は「ジャワ神秘主義の民族誌」からの引用となります。<--リンク)

PS
以下はクバティナンに関連している出来事を整理した年表になります。
ご参考までに。
インドネシア・クバティナンの歴史とバパの歩み(独立戦争~現在まで)<--リンク)

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク


インドネシアのクバティナン事情4

Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

以下は「IS SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD) A RELIGION?」(スブドは宗教か?)からの引用になります。<--Link

AL-ALBAB
第6巻第1号2017年6月

著者 Watini ワティニ

ガジャマダ大学宗教異文化研究センター
(Center for Religious and Cross-cultural Studies, Gadjah Mada University)

・概要

インドネシア政府は法律で特定のカテゴリに基づいて6つの公認宗教を認めています。
SUBUDとして知られているSusila Budhi Dharmaは、その中には含まれていません。

SUBUDを宗教として含めることに関する議論は、スブドの存在の始まりからありました。

この研究は、宗教研究とその論文において、人々と学者の両方の認識に関連したSUBUDの経験を探求しようとしています。

Richard Kingは、スブドは宗教であると信じています。
なぜなら、ラティハンlatihan kejiwaanによってスブドには(神への服従という)神秘(主義)が見られるからです。

彼は、それがlaso がキリスト教で練習されているもののように構成されていると言うかもしれません。(注1

Subudはスブドのメンバーが主張出来るような宗教的な教えを持ちませんが、ラティハンlatihan kejiwaanは神から来て神の意志に適合している(という主張)ゆえに、Subudは宗教とみなされます。

マルクス主義者、デュルケーム派、フロイト派の議論では、スブドは依存を促進し、経済を邪魔する傾向があるため、宗教とみなされます。(注2

他方でヴェーバー派(マックス・ヴェーバー)とエリアーデ派の両方の見解では、SUBUDは神聖な存在に関連し、伝統主義であるため、宗教とみなされます。

この研究は、宗教研究の人々がSubudを現場の理論に基づく宗教として受け入れるためには、より深い情報が有益であることを示唆しています。

タラル・アサドTalal Asad の理論によれば、スブドがリーダーと人々の構造を持つ組織に分類されているので、それが宗教であるというようにスブドの用語(言葉の使い方)をみなすことができます。

確かに、Subudはヨーロッパ諸国と米国では、スブドの成長と発展のために州からは独立していることが証明されています。

キーワード:SUBUD、宗教研究、Java、宗教。

・前書き

Aliran kepercayaanアリラン・クプルチャヤアンは、約353のジャワの神秘的な宗派の連合であり、1987年以来、インドネシア政府から正式な機関として認められています。(注3

Pattyが引用したように、Samuelは、スブドはインドネシアでの宗教を扱うものとしての宗教省(MORA)の代わりに文部省の担当下に置かれていると書いています。

そして、イスラム教徒はSubudが宗教として受け入れられ、MORAに含まれるという考えに同意しません。

またSamuelは政治的不安定性や社会経済的窮乏が運動の成長に大きな役割を果たしていると述べています。

Subudはaliran kepercayaanアリラン・クプルチャヤアンまたは神秘的な信念の宗派であるため、宗教として認識されません。

しかし、Subudは新しい宗教運動です(Patty、1986、iv-v)。

Subudは宗教として認められていませんが、今日まで成長し続けています。

パティはまた、アリラン・クプルチャヤアン(aliran kepercayaan)は、イスラム教、キリスト教ヒンドゥー教、仏教のようなインドネシアの公認宗教以外で、自分の信念体系を定義しようとする、ジャワ文化の伝統を引き出す人々のグループを指す言葉であると述べています(Patty、1986:1)。

独立後、インドネシアはパンチャシラPancasilaとして知られている五つの原則を、その国の基礎として取り入れています。
それは唯一の神を信ずること、人道主義インドネシア民族主義、民主主義、社会正義です。

1つの神を信じることは、政府がすべての宗教に自由を与えて教義を表現することを意味し、政府はまた、国において「公認宗教」として受け入れられたすべての宗教を最終的に支持する事になります。

それらはイスラム教、カトリックプロテスタントヒンズー教、仏教、そして後に儒教であって、そのために宗教省は宗教の公式定義を提案しています。

宗教としての承認を必要とするグループは、預言者聖典、国際的な認知を持つような特定の要件を持つべきである(Patty、1986:1)。

植民地時代にはイスラム教が官僚化と行政の対象となったため、カントゥア・ヴォール・インランドシュ・ザッケン Kantoor voor Inlandsche Zakenが作られた。

最初の長官はSnouck Hurgronjeです。

インドネシア人はその組織を「宗教庁(カンタール・アガマ)」と呼び、後にそれは宗教省となった(Sihombing et al 2008:73-74)。

今日ではそれはKementrian AgamaまたはMORA(Ministry of Religious Affair:宗教省)として知られています。

カンタール・アガマの設立は、人々の行政とその宗教上の業務を管理することを意図していました。

しかし、その時、kepercayaanクプルチャヤアン、あるいはkebatinanクバティナンは存在していました。

この特別なクバティナン集団に対して、政府はPengawas Aliran Kepercayaan Masyarakat(Pakem)と呼ばれるものを設立しました。

Pakemのメンバーは、独立記念日の後で合法化されましたが、植民地時代からこのアイデアの本質は存在していました。

創始者はSnouck Hurgronje(Sihombing等、2008,73)であった。

PakemはPokok-pokok Pola Pelaksanaan Tugas Pakem(Pakemの任務)で言及されており、aliran keagamaanは宗教、宗教運動、宗教的コミュニティの団体であるとされています。

Pakemはまた、「Aliran keagamaanの教えは聖書としての憲法に基づいています。」と述べているKejaksaan Agung Republik Indonesiaによっても知られています。

アリラン・クプルチャヤアンaliran kepercayaanの聖書は、ciptarasa、karsa、およびhasil karya manusia(人間の創造の結果)の結果として、成長し社会に体現された精神性(クロハニヤン)を含んでいます。 (Jakarta:Kejaksanaan Agung RI, 3 in Nurdjana 2009:20).

Nurdjanaは、アリラン・クプルチャヤアンaliran kepercayaanは、宗教か非宗教かを問わず、社会のあらゆる団体(madzhab、セクト、ordo、イズム:主義 などなど)から来ていると述べています。

グループ(の種類は多様であり)それらは、神秘的な事、ジャワ伝統的な事、預言、超常現象、形而上学に関連する活動などを行います。(2009,21)

この論文では、Nurdjanaの言葉を使用して、SUBUD(Susila Budhi Dharma)と呼ばれる、ヨグヤカルタアリラン・クプルチャヤアンaliran kepercayaanについて説明します。
・・・・』

注1:laso<--現状では意味不明のコトバです。

注2:バパは従来の宗教がそのような傾向を持つ事に対しては批判的でした。
したがって会のメンバーに対しては常に「世的な必要事を無視しない様に」と注意していました。
しかしながら「世的な必要事」を無視する会員の存在を完全にゼロにする事は出来ませんでした。
ですので人にもよりますが、ラティハンそのものがそれを修練する人が注意し、自覚ていないと「世的な必要事を無視する、軽視する傾向を生み出す」という事は事実であって、注意を要する事であります。

注3:Aliran kepercayaan アリラン・クプルチャヤアンと呼んだりkebatinan クバティナンと呼んだりします。
他にはKejawen(インドネシア伝統的神秘道)という事もあります。
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上記の引用部分の英文は以下を参照願います。
・Circumstances of Kebatinan in Indonesia No.4<--Link
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PS
次の記事は、クバティナンのwikiから引用されています。
・Kejawen <-- リンク

『クバティナン団体
本式なクバティナン運動の出現はインドネシアの近代化を反映している。

クバティナン運動は、1900年代初めに都市の伝統的なエリート界で、ナショナリズムモダニズムイスラム運動であるムハマディヤの登場とともに登場した。
・・・・・
いくつかの人は非常にエリート主義者のままであったが、他の人々は都市や村落の下位層を受け入れることで、シャーリア重視イスラムの代わりに、アバンガン、すなわち混交的イスラム教を普及させた。

1949年の独立後、クバティナンは政治的支援を受け、大きな支持を集めた。

クバティナン運動は、世俗的な民族主義的エリートによって、政治的イスラムの勃発に反対する同盟団体として見られた。

イスラム教徒と共産主義者民族主義者との間の政治的闘争は、混合主義とシャーリア重視イスラムの間のより鋭い区分けにつながり、 それによって大部分のクバティナン運動は共産党またはナショナリズム政治団体と提携した。

正式な宗教としての正統性と認知を得るために数百のクバティン団体を代表する傘の様な組織(HPK)がある。

彼らはHPK(Himpunan Penghayat Kepercayaan:唯一なる神への信徒協会)に登録されており、PAKEM(Pengawas Aliran Kepercayaan Masyarakat)によって管理されています。

スハルト時代(1967-1998年)の後、クバティナン運動は政治的支援を失い、活動性が低下しクバティナンの支持者は公的関与を避ける様になった。

全体で数百のクバティナングループが存在し登録されており、最もよく知られているのは以下のものである.

スブド Subud
スマラー Sumarah
パンゲスツー Pangestu
サプタ・ダルマ Sapta Dharma
マジャパヒト パンチャシラ Majapahit Pancasila.』

注:マジャパヒト王国(Kerajaan Majapahit)は、1293年から1478年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国です。
マジャパヒト パンチャシラは最近になって登場してきたクバティナンであって、その名前が示す様にヒンドゥー教の流れをくむものと思われます。

PS
以下はクバティナンに関連している出来事を整理した年表になります。
ご参考までに。
インドネシア・クバティナンの歴史とバパの歩み(独立戦争~現在まで)<--リンク)

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク

インドネシアのクバティナン事情3

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

「ジャワの宗教と社会」福島真人著より、、、。

1、インドネシア独立後の宗教史について、、、

インドネシア独立後の宗教史、とりわけイスラム以外の宗教にとっての宗教史とは、まずもってこの宗教行政内でのイスラムドミナント(支配的、優位に立つ)という事態に対する対処の歴史といっていい。

そこでは、まずもって「宗教」という概念はイスラムをモデルとして組み立てられ、他の宗教もそれに従うよう強制された。

そして結局インドネシアで公認されるべき「宗教」は五大宗教(イスラムカトリックプロテスタントヒンドゥー、仏教:注1)となり、それ以外に「宗教」という概念を適用することができなくなった。

その結果インドネシアの行政的文脈では、新興宗教という概念そのものが使えなくなったのである。

そしてクバティナンの闘争とは、このように「宗教」という概念の幅が徐々に確定されていく過程で、事実上の新興宗教である彼らに、どのような法的ー政治的地位を与えるか、という内容のものである。(P104)


最初は独立に関連してのパンチャシラの宣言でした。

1945年6月1日  パンチャシラがスカルノにより発表された

そうしてそのパンチャシラの最初に登場する宣言、「唯一なる神への信仰」は全てのインドネシア人が要求される事になりました。

次は公認宗教の決定です。


1965年  バパの協会を含む多くのいわるゆる「新宗教」は厳格なイスラム教徒とキリスト教団体からの圧力の下でのスカルノ大統領決定により「宗教」とはみとめられなかった。

これによって今までいわゆる宗教とされていたもの、世界宗教(すべてインドネシアの外からきたもの)と新興宗教インドネシア生まれのもの)が分離されました。

そうして、宗教と認められなかったもの、宗派によっては「自分たちはクバティナンではない」という主張にもかかわらず、それは実質上はクバティナンと分類されることになりました。

また同年に勃発した、共産党主導と政府が主張するクーデター事件によって、反政府運動への締め付けがきびしくなり、「一部クバティナン宗派が共産主義者の影響下にあった」という政府見解によってクバティナンへの監視もきびしくなりました。


次に法的な地位が不明確だったクバティナンについて、一応の明確化が行われました。

1973年  国家政策大綱に「宗教」と並んで「唯一なる神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)という言葉が正式に明記され、これによってクバティナンは「信仰」として正式な認可を受けることになった。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)

これによりクバティナン諸派は法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)ということになった。

しかしこの「信仰」(Kepercayaan)というのは「宗教」(Agama)ではなく文化、慣習(adat)であるという解釈の下で管轄が宗教省から教育文化省に変更されることになりました。


1979年  クバティナン諸派(引用注:含むバパの協会)の管轄が宗教省から教育文化省に変更された。

宗教省(注2)は主流派がイスラムでありますが、そのイスラムからすると当然のことながら宗教>文化、慣習ということになります。

つまりは宗教が最初のものでクバティナンは2次的なもの、宗教から派生したものという見方になるのでした。(P381)

以上がバパの協会を含むクバティナン諸派がたどった歴史であります。


ちなみにPAKEMについて。

1960年 PAKEMの所属が宗教省から検察庁に移る。

PAKEM:社会信仰諸派監視機構の略称 「ジャワの宗教と社会」 P371

クバティナン諸派が社会的に逸脱した行為を取らないかを監視し、その兆候がある場合は、解散を命じる権限をもつ部局である。(同書 P157)

PAKEMは現在でもこのような監視を検察庁で継続、実施している様であります。

1963年6月1日 バパ バウル トークより
『今日、あなた方がどこにいようとも、政府は全ての事をとても注意深く調べます。
政府は全ての組織について知る必要があるのです。

政府はそれが悪い意図をもった政治的なグループであるか、もしくは、国の状態に干渉する意図をもった政治的なグループであるかどうか調査しなくてはなりません。
・・・
このことは、一般的に政治的な性質を持つ組織が多いインドネシアで起こりました。
彼等は会合を持つたびに調査されました。

しかし、私たちは(引用注:外部に対して秘密はなく)透明であり、喜んで政府に真実を述べたので、最後には法的組織(引用注:公認クバティナン)として受け入れられました。
つまり、私たちは政府に許可を求める事なく集まったり会合を持つ事が許されているのです。
・・・・・』

以上の歴史的詳細についてはこちらを参照願います。<--リンク


2、協会の主張と対応。

『・・・一番最近の大会に於いて、それを登録することが決まり、今、その草稿が、司法省--国--に登録される準備ができています。・・・

・・・それは、政府に協会を呈示するための、協会の法的基盤です。・・・

・・・協会は国家に於いて機能しなくてはならず、国は協会を法的に守ってくれるので、私たちは、協会が運営されるそれぞれの国の法律や規定に適応しなくてはなりません。・・・

・・・私たちは政府が新しい宗教を欲していないことを知っているので、協会を新しい宗教として合法化したことは決してありません。

さらに付け加えれば、協会は新宗教でもなければ、既存の宗教の一部でもありません。

会員は自分自身の宗教に従います。

このような訳で私たちは協会を宗教省の下に登録することはできないのです。・・・

・・・しかし、私たちは良い国民として、国家に於いて機能するので、法的組織を持つことを求められます。

こういった理由でインドネシアの協会は教育省に登録されているのです。

それは宗教省には登録されていません。それを変えないで下さい。

(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)

私たちは各人が宗教に従います。

つまり、各人が自分自身の宗教を持っています。

それゆえ、協会は法的には教育省に登録されています。

それは(政府によって)受け入れられているのです。

(ですから)それを変えたりしないで下さい。・・・』(2013.2.23ルンガンサリ)


『(あなた方は)なぜ私たちは宗教省に登録されていないのですか(と尋ねます。)』

この発言の裏には、「信仰」が「宗教」より下に見られているというインドネシアの社会的な背景があります。

いくら法的に、形式的に「信仰と宗教は同等だ」と表現してみても現実の社会はそのように認識してくれないのです。

ですから、インドネシア内で協会がより発展する為には「信仰」であるより「宗教」である方がだんぜん有利なのでありました。

それからもうひとつ。

ある宗教のブランチ、ひとつの宗派として「信仰団体」から「宗教団体」にいわば「格上げすること」は可能なのでありました。(P344~346、P365)

ですから、既存の宗教に親和的であるならば、その宗教のひとつの宗派となることも、簡単な道ではないでしょうが、それなりに可能な選択枝なのであります。

しかし協会はその公言しているスタンス「我々は宗教ではない」を堅持しなくてはならない、、、というのが二代目の主張であります。


ここにインドネシアの信仰団体がたどってきたインドネシアに固有の宗教史と協会の立場とのジレンマが見えます。

協会の主張の本質は「ラティハンは神からのものである。」ということですので、基本的には「宗教におとるもの」ではありません。

しかしながら、インドネシアでの協会の社会的な地位は「教育省管轄の信仰団体」なのであります。

そしてインドネシアの歴史的な経緯によって、あるいはイスラム優位の社会情勢によって、宗教>信仰というように認識され、「信仰」は二次的なもの、協会は宗教を補完するもの、というような立場に置かれることになりました。

結局このような見られ方はインドネシアでの協会の発展に対してはマイナスに作用することになります。


3、まとめ

信仰団体あるいはクバティナンは公認、非公認を合わせると数百にのぼるようであります。

その数百にのぼるクバティナンと協会とは別のものである、というのはバパの主張であり、二代目の主張でもあります。

しかしながら、インドネシア社会は協会をバパの主張するようなものとはとらえない、認識しないでありましょう。

事実、他の信仰団体と同様に教育省に「信仰団体として登録されているから」であります。


あるいは、「協会は宗教ではない」と主張しています。

しかしながら他の信仰団体と同様に「唯一の神を信仰している」と主張しています。

宗教でなく、そうして「唯一の神を信仰する団体」はインドネシアでは「信仰団体」しか存在を許されておりません。

もし「宗教団体」でなく「信仰団体」でない、、、としたら、それはいったいどんな「団体」なのでありましょうか?

そのような組織がインドネシアの人々に十分に理解されるとはとても思えません。

これが協会のもっている矛盾、ジレンマであります。


そして、クバティナン諸派の会員数は多くても5万人程度であります。

四大教派と呼ばれている団体でその程度でありますね。

それに対して宗教諸派は数千万人の会員数を誇ります。

これもまたインドネシアの一つの現実であります。

こうして上には「巨大な宗教団体」が存在する中で、協会は公認された信仰団体だけでも100程度はある2番手の「信仰団体グループ」の中に紛れ込んでしまい、その独自性、優位性を表現できていない様に見受けられるのでありました。<--リンク


この話、突き詰めますれば「インドネシアはたしかに協会発祥の地、なれどその地が育成に必ずしも適していない可能性もある」という事にもなります。

このあたりの状況は仏教やキリスト教がたどった歴史をみればよく分かること。

ラティハンの種は世界中にまかれました。

さて、いったいどこの地がラティハンの果実を収穫できる土地になれるのか、それは蒔かれた土地の人々の独自性、創造性に大きく依存するように思われます。


注1:五大公認宗教・・・スカルノ体制の始めにはこれに儒教が加わっていたが、のちに仏教に吸収された。(P14)

注2:宗教省(Departmen Agama)

イスラム法をもってインドネシアの国法にするわけにはいかないが、そのかわり宗教という限定した分野の管轄はムスリムに任せる、という妥協の産物である。

この省は実質的にNU(ナフタドール ウラマー)の牙城となり、彼らの主導の下でインドネシアの宗教政策の根幹が決定されることになった。<--リンク

当然、その政策のアウトラインはイスラムをモデルにして施行されるようになった。

・・・ここでアマガ(宗教)という語が、まずもってイスラムのような「世界宗教」であること。

さらにイスラムと同様に、唯一神への信仰、聖典預言者、信条、といった条件を有することが要求された。

この為最終的にイスラムカトリックプロテスタントヒンドゥー、仏教の五つが宗教とされた。(P14)


PS
『私は今、ここに於いて多くのイスラム教指導者(キアイ)が協会に入ったのを見て、嬉しく思います。』(2002.3.22ルンバン)

・・・たとえばスブドに参加しているあるキアイはイスラムの教えの補助的な手段として、スブドの訓練によるエクスタシーは重要な意味を持つと述べた。(同書 P178~179)

いやいや、ラティハンは「副食品(サプリメント)」ではありませんよ、キアイさん。

そこのところ、どうかお間違いのないようにお願いします。

PS
クバティナンの事を知る為には、以下の論文は欠かせません。
・ジャワ神秘主義の民俗誌<--リンク

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

インドネシアのクバティナン事情2

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

1、パティ県での公認クバティナン宗派

「ジャワの宗教と社会」福島真人著の記述内容にそって、パティ県のクバティナンの状況を見ていきましょう。

パティ県における公認クバティナン17宗派(表2-1 P111)
                                    本部 
サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務        ジャカルタ
パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福              ジャカルタ
スマラー (Sumarah)・・・服従                  ジャカルタ
スブド (Subud)・・・徳、善行                   ジャカルタ
PKKP      ・・・主の運命の知               ジャカルタ
スチ・ラハユ(Suci Rahayu)・・・聖・健康            パティ
ブディ・ルフール(Budi Luhur)・・・高貴なる思慮       パティ
トゥングル・サプド・ジャティ(Tunggul Sabda Jati)真の言の旗  ゴンボン
Kasampurnaan Jati    ・・・真の完成            パティ
パンブコ・ジウォ(09 Pambuka Jiwa)・・・09 魂の開示    ブリター
Nukat Ghoib    ・・・霊的種                  パティ
パヌンバー・ジャティ(Panembah Jati)・・・真の礼拝     パティ
Hasta Brata    ・・・八つの義務               パティ
プラモノ・スジャティ(Pramono Sejati)・・・真の光       パティ
Sastra Jandra    ・・・聖なる書               ジャカルタ
ラティハン・クジワワン(Latihan Kejiwaan)・・・魂の訓練  パティ
サストロ・チュト(Sastra Cetha)・・・明らかな文字      パティ

ただしLatihan Kejiwaan(魂の訓練)はスブドのパティ支部長が本体から分離して作ったグループで、基本的にはスブドと全く同じである。(P110)

それから、現在のインドネシアでは公式には身分証明書の宗教の欄に「公認クバティナンに所属している」という意味の記号(-・-)を書けばそれが「公認宗教に所属している」と同等の評価になるはずなのです。

つまり憲法の前文が要求している「全ての国民は宗教に所属しなくてはならない」の解釈が「公認クバティナンでもよい」となった訳であります。

それが「公式の政府の指示」なのですが、実質上はほとんど認識されておらず、機能していない様であります。(P180、P381)


2、パティ信仰協会(Himpunan Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa :HPK 唯一なる神への信徒協会

信仰協会はさまざまな活動を行うが、その一つとして月に一度の会合がある。

この会合には、前述した中小クバティナン諸派(7~9グループ)が参加する。

会は基本的に各宗派間の持ち回りで開催され、各宗派のリーダーに加え、その時主催した宗派のメンバーが多少参加するというのが平均的な形式である。

そこではたとえば、以下のような議論が行われている。

・・・まず信仰協会という組織自体の必要性をはっきりさせること。

そして、ちゃんとした基礎を持ち目的のために自を犠牲にするという精神といったものをちゃんと考える必要がある。

アニミズムの時代にもすでに信仰の徒(Penghayat)はいたわけだし、その時代にすでにパンチャシラの基礎はあったのだ。

ただ石などの呪物に対する崇拝というのは、そうしたアニミズムの時代固有のものであり、我々の基礎はあくまでも「唯一なる神」(Tuhan Yang Maha Esa)である。

そして信仰協会というのは、お互いの差異を問題とせずに一体となる(manunggal)ということだ。

そしてそれが神人一如の基礎なのだ。・・・(P162~164)


3、スチ・ラハユ(Suci Rahayu)の例

さて、上記17の中からパティ信仰協会で中核的なグループのひとつであるスチ・ラハユ(Suci Rahayu)の例を取り出して見ていきましょう。

スチ・ラハユは比較的整備されたコスモロジカルな教義をもっているが、それはスチ・ラハユの開祖たち(1932年ころ)が、基本的に「神智学」の影響を強く受けているからである。

神智学とは、いわゆる「神智学協会」(Theosophical Society)によってとなえられた教義体系をしめしている。

・・・この神智学経由の死生観によれば、我々人間はまずもって神(Allah)によって生まれ、神のもとに回帰する。

さらに我々の身体を構成すつ4つの要素、つまり火(geni)、地(bumi)、水(banyu)、気(angin)、そしてそれを統括する生命の素(zat urip)があるが、死後神のもとに帰ってゆくのはこの生命の素である。

死後の世界は7つの層に分かれているとされ、それぞれ霊界(alam sukma)、魂界(alam nyawa)、光界(alam nur)、力界(alam daya)、権界(alam kuwasa)、神界(alam Allah)と呼ばれている。

死後、生命の素は、究極的には神界に達するのを目標としているが、多くの罪をおかすとこうした上昇は許されず、最下層の霊界に置いておかれ、そこで老年から逆行して幼児にもどり現世に再び回帰するか、あるいはその罪の大きさによって、動物、あるいは石にまで再生(nitis)する羽目になる。

こうした再生の運命をさける為には、一段上の魂界に至る必要があり、そのために各種のトレーニングが必要とされる。

人はできるだけ高次のレベルに進むことが期待されているが、たとえば光界において、そこでの振る舞いが十分に善きものでない場合、神の意志によってそれらの霊魂(roh)は集められ、太陽として再生すると考えられている。

そして、最後の3レベル(力界、権界、神界)は実は一つであり、ここに到達するのが、ジャワ神秘主義のある種のライト・モチーフ(通奏低音)のようになっている「神人一如」(Manunggaling Kawula-Gusuti)の究極的状態と定式化されている。

・・・この死後の階層レベルを上位に登っていくためにも、現世では各種の内的な能力を開発することが強調されている。

そのために用いられるのが、ほとんどヨガ的と言っていい、呼吸のコントロールと、それによる「大地の精」(sari-sarining buwana)と呼ばれるエネルギーの吸収、蓄積である。

この大地の精を体内に循環させ、体の七か所に存在するとされるさまざまな「星」(lintang)を発火(murub)させることによって、それに関連した能力を開発することができるとされている。

・・・これら能力の開発は日常的に行われる瞑想(semedi)と呼吸訓練(olah napas)によって行われる。(P112~113)

(引用注:これはほとんどクンダリーニ・ヨガで言う七つのチャクラの開発と同じでありますね。)


4、死生観のバリエーション

ブディ・ルーフルは再生(nitis)を教義の中心にしている。

スチ・ラハユは再生と昇天の折衷型。

プラモノ・スジャティは現世以外を全面的に否定。

サストロ・チュトは生命は永遠と言いながら、来世その他についての思弁は拒否する。

参照する宗派のサンプルを増やせば、当然のことながらこうした多様性はより拡大する訳だが、一方この四宗派を見るとある種の共通点も見いだせる。

ひとつは何らかの形で生命(urip)という概念が通奏低音になっており、生命についての解釈が教義の核になっているという点である。

前者二つはそれをあるエネルギーの源のように考え、いっぽうプラモノ・スジャティはそれを光として表象しサストロ・チュトは文字の中にその秘儀を見出す。

そして、何らかの形でその生命と関連した諸能力を向上させようとするのが、それぞれに特有の教義となって表れてくるのである。(P131)


5、「霊力の道具的使用」という問題

ジャワには一般にドゥクン(dukun)と総称させる一連の呪医ー民間医療従事者がいる。

一般の人にとっては各宗派の代表は何らかの形で呪医的な活動を行っていると見なされており、彼らの家には治療や薬を求める人々が列をなしている場合が多い。

彼らの「霊力」についてはそれなりの評判もたっており、こうした期待が周囲の人々を誘い続けてきた。

・・・ここで争われるのは、瞑想その他によって獲得された力を他者の治療等に用いてよいのか、という点である。

この点については、前述した四大教派の間でも意見の対立がある。

クンダリーニヨガ風のサプト・ダルモ、およびエクスタシー型のスブドといったグループでは、上級のメンバーが、祈祷によりこうした治療活動に加わることをある種の義務としている。

一方、理知主義的な傾向の強いパンゲストゥーはこうした治療行為を強く否定し、それは神によって定められた秩序に人間が勝手に介入することになり、結果的には「聖なる力」(pusaka)や墓等に対する信仰へと堕落するようになる、と警告している。

ミュルダーによれば、同様の論争は、くじ引きに関する予言等にもあり、明らかに金銭や低次元の欲望と関係するクジについて、瞑想やその他の高次元の精神的活動の結果を使用してよいのかといった点で意見の対立があるという。(Mulder 1978:33-34)

・・・しかしこのことは彼らが一般に「自らを呪医として認めている」ということを意味せず、実際はこうした呪医視に対して、激しい拒否反応を示すことがある。・・・

・・・このような呪医についての否定的見解の裏には、呪医がある力を自らの欲望(hawa napus)に従って無制限に使用するようになるという事態への警戒心がある。・・・

・・・だがこうした制限があるにせよ、スチ・ラハユやブディ・ルーフルは、獲得されたエネルギーを用いて他者の治療を行うこと自体を否定している訳ではない。
・・・・・

これらの諸派は、ドゥクン(dukun:呪医)という言葉を、ある特定の教義によって十分にコントロールされていないまま力を乱用する者達、と解釈しており、その意味での呪医は否定するものの、自分たちの「正当なやり方」によって蓄積された霊力を他人の役に立つように使用するのは問題ない、としている。

こうした発想は、スブドやサプト・ダルモという大教団でも正当視されていたが、この見解に反対する人々もいる。(P131~133)


6、デゥオ・ルチの解釈学ーーー神人一如の思想

デゥオ・ルチ(Dewa Ruci)はワヤンと呼ばれる影絵芝居の物語の一つであるが、ジャワ起源であり、しかもクバティナン諸派に大きな影響を与えたものでもある。

(引用注:デゥオ・ルチ(Dewa Ruci)についてはこちらを参照ねがいます。<--リンク)

・・・巨漢のビモが思い切ってその耳の中に飛び込むと、彼の体内で様々な光沢を放つ光、虹のような光を体験し、最終的に自らの姿をそこに見出すのである。

これが自分の真の自己、あるいは真の師(Guru sejati)であるとビモは気が付く。

その瞬間、デゥオ・ルチは自らの神格を呈示し、体内からでてきたビモは、デゥオ・ルチに対して、あなたこそが自らの真の師であると誓うのである。

そして、ビモは人間の世界に帰ることを命ぜられ、それ以降ビモは聖なるビモ(Bima Suci)と呼ばれるようになるのである。


この話に関してはさまざまな解釈が可能であるが、クバティナンの一般的な傾向の中でも、特に人間の自我の中に存在する神的な要素という考え方として、クバティナンではよく知られたものである。

ギアツがブディ・スティア(Budi Setia)というグループについてのべたものは、この神人一如の思想の真髄をよく表している。

「・・・一般的には人の内的な生活の最も中心的な部分、つまり神が個人の中に存在するという場所というのは、心(heart manah)である。

時には、こうした場所はある特定の器官、たとえば肝臓だとか、心臓だとかと同一視されることがある。

(より迷信的な人々は、心(jantung)という言葉を発したりはしないだろう、というのもこれは神が個人的にそこに存在する領域であり、そういう座を名指すということは、神を怒らし、悪い運命をもたらす可能性があるからである。)

しかし一般的にはそれは個人という存在の中核であり、彼の存在の深いセンターの存在している。

故に、「こころ」というのはここでは霊的な場所であり、個人の最も深い所であるそこで、彼は真の自我と究極的なロソ(rasa)即ち神が出会う場所なのである。」(Geertz 1960:341)

こうした解釈は、多義的な解釈の一部を最大公約数的にまとめたものにすぎないが、この心の中の神とか、神人一如といった考え方は多くのクバティナン信者が、影響を受けている思想である。(P144)


7、クジャウェン(kejawen ジャワ主義)からクバティナン(kebatinan ジャワ神秘主義)へ

サストロ・チュトのスゴノは「伝統的なジャワ的思考において、その最も中核的な概念となるべきものは、自制(mawas diri)と精神的な独立(mandiri)である。

人が自らを様々な形で鍛えるというのも、外面、内面、その両面において自らの静寂さを保つためである。」と語った。(P150)

クバティナンという語が、バティン(内面)という言葉に由来するように、神的メッセージを感受するということ以外にも、バティンの心理学的なホメオスタシス(恒常性)を維持するということは、クバティナンにとって重要な部分となっている。

この信念は「内面の静寂」(tentreming batin)という形で表現され、人生においてその外面に様々な問題があろうとも、その内面は常に安定して動じることがない、というのが一つの理想としてしばしば挙げられる。(P152)

PS
バパはトークで「唯一の神」とよく表現します。

さて、それではインドネシア語で「唯一の神」とはどう表現するのでしょうか?

Tuhan Yang Maha Esa」と書きます。(トークもそうなっています。)

そしてこれはまさに以下の「唯一なる神への信徒協会」で言われているものと同じなのであります。

信仰協会(Himpunan Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa :HPK唯一なる神への信徒協会

こうしてインドネシアでは全ての国民が、宗教を持つにせよ、公認クバティナンに所属するにせよ「Tuhan Yang Maha Esaを信仰することに違いはない」ということになるのでありました。

PS
インドネシアの信仰団体あるいはクバティナンは公認、非公認を合わせると数百にのぼるようであります。

ところで日本の新宗教はいくつあるのでしょうか。

Wikiによれば179団体になるようです。<--リンク

日本はインドネシアの人口の半分程度ですので、総人口に対する団体数の比率は同程度と見てよさそうです。

結局のところ、国が違っても人々のやることは似たものになる、、、ということでありましょうか。

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
 

インドネシアのクバティナン(kebatinan)事情1

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

 「ジャワの宗教と社会」福島真人著の記述内容にそって、4大クバティナンの状況を見ていきましょう。

そして、「始まりの物語」の1979年の記述、まずはここから始めましょう。<--リンク

1979年  クバティナン諸派(引用注:含むバパの協会)の管轄が宗教省から教育文化省に変更された。

同時に「唯一なる神への信徒協会」(HPK:注1)がクバティナンの唯一の公認組織体となる。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)

但し、インドネシア全国レベルで信者を有するのは以下の4つのもの。

スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派・・・1万人(全世界合計)
パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人
サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い
スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人

そうしてスマラーのみが「唯一なる神への信徒協会」に参加し、この組織のトップを歴任している。
(注1)
Himpunan Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan YangMaha Esa :HPK 信徒協会
以上、P111、P175、P380、P385、JAVANESE MYSTICAL MOVEMENTS より


1、サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い

P99の記述では「数十万人の信者がいる」とありますが、自分たちのカウントと外部のカウントが合わないのはいつものことであります。

実際「JAVANESE MYSTICAL MOVEMENTS」の記述では<--リンク
「1982年  教育文化省に登録されている「信仰」団体数は93で、中部ジャワ合計でトータル123570名の会員数でした。」とあります。

これが正しいとするならば、サプト・ダルモのみですでにこの人数を上回っていることになってしまいます。


さて、サプト・ダルモは1954年ころに始まったものであるらしい。(Apakah Itu Sapta Dharma?)<--リンク

初代 Sri Gotama 二代目 Sri Pawenang女史。(P385)

このグループの基本的な宗教実践は、クンダリーニ・ヨガそのものであり、生命のエネルギーが背骨を通って徐々に頭頂に向かって上がっていき、そのエネルギーの上下に従って胡坐をかいている信者の体が前屈したり、元に戻ったりする。

そして究極的にはそのエネルギーは頭頂から天に向かって放出され、神との一体化をはかるという。

ただし彼らはそれがクンダリーニ・ヨガの一派であるとは決して認めない。・・・(P107)

・・・他のクバティナン・グループと一線を画したいという気持ちが強く、公的にはクロハニアン(kerohanian つまりrohani精神に関係したことの意)という名称をもちい、「クバティナンとは違う」という姿勢を鮮明にしている。

・・・その意味では特にイスラムに対する敵意をあらわにすることも多かった。(P108)

つまり彼らは「自分たちは独自の宗教である」という「暗黙の主張」をしている。

しかしながらインドネシアでは「宗教(agama)」は公認された6つの「世界宗教」しか使う事ができないコトバなのである。

それゆえに彼らの主張の仕方は「屈折したもの」にならざるを得なくなってしまうのでした。

ちなみにサプト・ダルモ (Sapta Darma)についてのより詳細な説明は『スマルとは何者か? Apa dan Siapakah Semar? 』という資料の10~11ページに書かれてありました。<--リンク

興味のある方はご参照ください。


2、パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人

この協会は、ソロ1949年5月20日に設立されました、神の永遠の教祖真/メッセンジャーの教えを通して高貴な魂(内側の良識を)構築することにより、心、平和と幸福の平和を必要とする人に開かれています。

真のマスターの教えは、最初の2月14日、その後1932年にR. Soenarto Mertowardojoによって受信された、真のマスターの教えは、周りの人に知られ、求められています。

インドネシア内に204支部をもち会員数20万人。

パンゲストゥーは新しい宗教ではなく、神からの啓示による宗教と競合することはない。 <--リンク


このグループは非常に包括的な神学の教義体系を持ち、それに関連した倫理的行為を特に強調している。

彼らは他のクバティナン組織が強調している瞑想や行といったものにそれほど重きをおかず、日常的な実践が大切と考える教団である。

複数の宗教(キリスト教イスラム、仏教)を統合した複雑な神学は、知性主義的な傾向をもち、それゆえ大都市のインテリ層の間で特に信者が多い。(P100,P107)


3、スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人

1935年~37年にかけてのSukinohartono(Pak Kino)の体験を起源とする。

そうして、Pak KinoはスブドヘルパーWignosupartonoによってオープンされた様です。<--リンク

つまり、かれは一時期ラティハンを実習していた、、、訳でありますね。

会員数は1977年で6000名ほどの様です。<--リンク


この教団は一般にパモン(pamong)と呼ばれる瞑想の個別指導者を中心に、彼との対話と共同の瞑想で、ある種の霊的直観力(rasa)を訓練していくもので、やはりドクトリンよりも具体的な瞑想の訓練そのものが活動の中心になる。

また、このグループは外国人の信徒も多い。

それから、信仰協会(HPK)などの政治活動、政治参加に積極的である。(P108)


4、スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派

1925年のムハンマド・スブー(Muhammad Subuh)の体験に起源をもつ。<--リンク

ムハンマド・スブーは、人々はもはや言葉だけを信じていない、そうして個人的な証拠や宗教的あるいは精神的なリアリティーの証明を要求するものとして、現代を見ました。

彼はスブドは新しい教育や宗教ではなく、latihan kejiwaan自体は人類が探していることの証明のようなものであるということだけを主張しました。 

彼はまた、kebatinan組織としてスブドの分類を拒否しました。 

今スブドグループは約83カ国で約10,000の会員数です。<--リンク


この教団はエクスタシー型の自己催眠のような経験を強調する。

その訓練は基本的に指導者と新人がペアで行い、指導者がエクスタシー状態になるのに応じて、新人もそうなれるように訓練していく。

このエクスタシー状態というのは神との直接的な接触であると考えられており、それによって心身が浄化される。

これを外から見ると、部屋を暗くして例会が始まると同時に参加者の間でうめき声やすすり泣き、あるいは歌声などが一斉に起こり、ある者はうろうろ歩きまわり、またある者は転げまわったりとかなり壮絶な状態になる。

スブドはジャカルタでおおきな影響をもつと同時に世界的にもかなりかなり広まっていると彼らは強調している。

・・・スブドにはこれといった教義体系は存在せず、基本的に実践中心である。(P108)


5、まとめ

以上から、クバティナン諸派の「クバティナンは法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)である。」という政府の方針に対しての反応は以下のようになります。

1、サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い・・・我々はクバティナンではない・・・否定的反応

2、パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人・・・その立場でよい・・・肯定的反応

3、スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人・・・「信仰協会」に積極的に参加・・・積極的反応

4、スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派・・・1万人(全世界合計)・・・我々はクバティナンではない・・・否定的反応

以下参考。

1973年  国家政策大綱に「宗教」と並んで「唯一なる神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)という言葉が正式に明記され、これによってクバティナンは「信仰」として正式な認可を受けることになった。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)

これによりクバティナン諸派は法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)ということになった。(同書 P106) 


PS
・・・スブドにはこれといった教義体系は存在せず、基本的に実践中心である。(P108)

まあ外側から観察したら、外部に対してあまり情報を出さない団体についてはそのような結論に至るのも仕方のないことであります。

しかし、4つのナフス(nafsu)をもつ人間7つ+2つのロホ(Roh)からなる生命世界を前提に展開されるバパの話が何の体系もないもの、、、などということはあり得ません。<--リンク

あるいは、たとえば「スシラ ブディ ダルマ」を読まれていたらまた違う記述になったかとも思われます。<--リンク

まあそうではありますが、福島さんの調査にそこまでの詳細さを求めるのも酷というものであります。

追記
以下バパによるクバティナン(kebatinan)の定義です。

『普通、スピリチュアル トレーニングは、インドネシアでクバティナン(kebatinan)と呼ばれるものは、沈黙の中で、静かに思考を集中させることによって行われます。

あるいは、意識を集中し、思考をなくすことで行われます。

事実、それを行う時は、普通食べ物や睡眠をへらし、時には人間社会から遠く離れたさみしい場所にとどまります。・・・』(1963年6月29日)

このバパのクバティナンの定義に従うならば、「ラティハンはクバティナンではない。」という事になります。

従って、上記の様に「我々はクバティナンではない」と主張する事になります。

しかしながら、インドネシアにおいてはこのバパの主張は一般的には認められる事はなかった模様です。
(仮にバパの主張を認めたとしても、宗教団体登録は政府により拒絶されている為、残された唯一の政府公認の団体登録は「信仰団体登録」、つまり一般には「クバティナン登録」として知られているものしかないのが実情です。)

ちなみに「あるいは、意識を集中し、思考をなくすことで行われます。」の例としてはこのようなものになります。<--リンク

PS
インドネシアと日本の宗教選択制について
まずはここから始めましょう。

1965年  バパの協会を含む多くのいわるゆる「新宗教」は厳格なイスラム教徒とキリスト教団体からの圧力の下での大統領決定により「宗教」とはみとめられなかった。

こうしてパンチャシラ及び憲法のいうところの「宗教」とは「イスラム教、キリスト教プロテスタントカトリック)、ヒンドゥー教、仏教、儒教」ということになったのであります。

今までは憲法は「信仰」(Ketuhanan Yang Maha Esa、唯一なる神格)を奨励し、宗教の状態をサポートしていたが、法律がまだ「宗教」を構成するものを明確にしていなかったのでした。

ーーー この部分はSUBUD (Susila Budhi Dharma) (Religious Movement)からの引用です。<--リンク


後日に至りて儒教は仏教の中に吸収され、現在では公認宗教は5つになっている模様です。(「ジャワの宗教と社会」福島真人

こうしてインドネシアでは事実上、すべての国民は政府の要請により、何らかの宗教をもつことになりました。

さて、それでは現在のインドネシアの宗教%はどうかといいますと、

イスラム教・・・87%

キリスト教・・・10%

ヒンドゥー教・・・2%

仏教・・・1%

合計で100%。

皆さん全員、なんらかの宗教に属しておられます。<--リンク


この話を最初に聞いたときは「どこかで聞いた事があるなあ」と思いました。

そう、寺請制度ですね。

江戸時代に施行された、寺請制度、以下Wikiよりの引用です。<--リンク

寺請制度(てらうけせいど)は、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。

寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。

必然的に民衆は寺請をしてもらう寺院の檀家となったため、檀家制度や寺檀制度とも呼ばれる。・・・


こうして一度民衆とお寺が結び付けられますと、そこから慣習が生まれてきます。

・・・1700年頃には寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、常時の参詣、年忌命日法要の施行、祖師忌・釈迦の誕生日・釈迦涅槃日・盆・春秋の彼岸の寺参り(墓参り)を挙げている。

以上、「檀家制度の確立」から引用です。<--リンク

こうして現代でも存在する各種の慣習が生まれてきました。

そのような環境に生まれてくれば、家の宗教が自分にとってなじみが深くなるのは当たり前のことであります。

こうして日本の場合は選択宗教制ではなく宗教固定(仏教)宗派選択制ではありますが、宗教に対する統制が行われて来たのでありました。

PS
ご参考までに。
・クバティナン関連の目次です。<--リンク
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

The one and only God (Tuhan Yang Maha Esa)

  Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

 Below is quoted from " · PERKUMPULAN PERSAUDARAAN KEJIWAAN SUSILA BUDHI DHARMA (SUBUD)".<-- link
ーーーーーーーーーーーーーーーー
『Foreword

This brief explanation of SUBUD was cited from the summary created at the request of the Ministry of Education and Culture of the Republic of Indonesia and the Council President of God's Councilor, and the spiritual speech material which is the attachment of the letter of the date It was arranged by Subud Indonesia according to the instructions given as an overview.
  May 1988 May 159 / F.6 / E.2 / 1988
・・・・・

II. UNDERSTANDING BASIC PATTERNS

a. Conception about Tuhan Yang Maha Esa

Subud's understanding and understanding of Tuhan Yang Maha Esa is that Tuhan Yang Maha Esa with His power includes
all of His creations, both glorious and invisible.

・・・

c. Conception about the Universe

Tuhan Yang Maha Esa created the universe and Tuhan Yang Maha Esa's power encompasses all of His creations.

・・・・・

Ill. BASIC EVENT PATTERNS

a. Spiritual Behavior

The procedure for worshiping Tuhan Yang Maha Esa is done by Subud members through their respective religious procedures. 
Latihan Kejiwaan of Subud is not an appreciation procedure. 
Latihan Kejiwaan of Subud is an acceptance that has no procedure except the complete surrender to the power of Tuhan Yang Maha Esa, which then for Tuhan Yang Maha Esa's mercy will generate a sense of self, free from the influence of lust and mind.
 This motion is a motion that is raised by the power of Tuhan Yang Maha Esa and is only to be followed.

・・・・・

IV. BASIC PATTERNS OF OBSERVATION

b. Practicing in the Life System, and Ceremonies (rites) in the Life Environment.

Subud does not have a specific ritual in the order of life and in the circle of community life. 
The ceremonies of the Subud members in the order of life follow their religious rites and their respective customs.

・・・・・

The events in everyday life seem guided to the good, towards perfecting us as whole human beings,
as the most noble creatures of Tuhan Yang Maha Esa, who are able to receive His love if we only accept it.

Tuhan Yang Maha Esa's power is in us, filling and encompassing the whole self and inseparable. 
Through Latihan Kejiwaan of Subud, we can feel Tuhan Yang Maha Esa's power.

Jakarta, December 22, 1991』


Well Bapak says in the talk "Latihan is a worship service to Tuhan Yang Maha Esa, the one and only God".

However, Sudud Indonesia seems to have officially not made such a statement.

『The procedure for worshiping Tuhan Yang Maha Esa is done by Subud members through their respective religious procedures. 
Latihan Kejiwaan of Subud is not an appreciation procedure. 
・・・・・
This motion - movement caused by Latihan - is a motion that is raised by the power of Tuhan Yang Maha Esa and is only to be followed.』

Thus, in Indonesia, it turns out that Latihan is officially recognized as practice, training, or spiritual training as opposed to worship.


Above is a quotation from Indonesian (original) below.

『PENDAHULUAN

Keterangan singkat tentang SUBUD ini diangkat dari suatu sinopsis yang dibuat atas permintaan Direktur Pembina Penghayat Kepercayaan Terhadap Tuhan Yang Maha Esa, Departemen Pendidikan dan Kebudayaan Republik Indonesia dan disusun sesuai dengan arahan seperti tercantum sebagai Garis Besar Materi Pemaparan Budaya Spiritual yang merupakan lampiran dari surat tertanggal 3 Mei 1988 nomor 159/F.6/E.2/1988 kepada Pengurus PPK Subud Indonesia. 



II.  POLA DASAR PENGERTIAN

a. Konsepsi tentang Ketuhanan Yang Maha Esa

Pemahaman dan pengertian Subud tentang Ketuhanan Yang Maha Esa adalah bahwa Tuhan dengan kekuasaanNya mencakup seturuh ciptaan-Nya baik yang terpandang maupun yang tidak tampak.

・・・

c.  Konsepsi tentang Alam Semesta

Tuhan Yang Maha Esa menciptakan alam semesta dan kekuasaan Tuhan meliputi seluruh ciptaan-Nya.

・・・・・

Ill.  POLA DASAR PENGHAYATAN

a. Perilaku Spiritual

Tata cara ibadah kepada Tuhan Yang Maha Esa dilakukan oleh para anggota Subud melalui tata cara agamanya masing-masing. 
Latihan Kejiwaan Subud bukan merupakan tata cara penghayatan. 
Latihan Kejiwaan Subud merupakan suatu penerimaan yang tidak ada tata caranya kecuali penyerahan diri sepenuhnya kepada kekuasaan Tuhan Yang Maha Esa, yang kemudian atas kemurahan Tuhan akan membangkitkan gerak rasa diri, bebas dari pengaruh nafsu hati dan akal pikiran.  Gerak tersebut merupakan gerak yang dibangkitkan oleh kekuasaan Tuhan dan hanya tinggal diikuti saja.
Gerak tersebut merupakan gerak yang dibangkitkan oleh kekuasaan Tuhan dan hanya tinggal diikuti saja.

・・・・・

IV.  POLA DASAR PENGAMALAN

b. Pengamalan dalam Tata Kehidupan, dan Upacara-upacara (ritus) dalam Lingkungan Kehidupan.

Subud tidak mempunyai ritus khusus dalam tata kehidupan dan dalam lingkaran kehidupan bermasyarakat.  
Upacara-upacara para anggota Subud dalam tata kehidupan mengikuti ritus agamanya dan adat-istiadat yang dianutnya masing-masing.

・・・・・

Kejadian-kejadian dalam kehidupan sehari-hari terasa terbimbing ke arah kebaikan, ke arah penyempurnaan kita sebagai manusia seutuhnya, sebagai makhluk Tuhan yang paling mulia, yang mampu menerima kasih sayang-Nya jika saja kita mau menerimanya.


Kekuasaan Tuhan ada pada diri kita, mengisi dan meliputi seluruh diri serta tidak terpisahkan.  
Melalui Latihan Kejiwaan Subud, kekuasaan Tuhan ini dapat kita rasakan.

Jakarta, 22 Desember 1991 』


PS
In other words, "Indonesian Buddhists are supposed to believe in one God ".

Well I wrote this, but this is "comment from the Japanese view point".

There is a possibility that Buddhists in Indonesia seriously believe "Tuhan Yang Maha Esa".
("The only god" is written as "Tuhan Yang Maha Esa" in Indonesian language.)


That faith in only God is what has been going on since very long ago.
And on top of that history is Buddhism and Hinduism first, followed by Islam and Christianity.
(Buddhism and Hinduism were pushed toward the edge.)

And people in Indonesia think that "These gods of outsiders are all Tuhan Yang Maha Esa's changed shape, and the essence is the same".

As it is so, in our eyes it seemingly reckless, that is Pancasilawhich seems impossible, but it is established.<--Link

First of all in Pancasila
1, "Faith in only God" (Ketuhanan Yang Maha Esa)
It is decided .

People in Indonesia acknowledged this, "Although six religions of Islam, Protestantism, Catholicism, Hinduism, Buddhism, Confucianism are recognized in Indonesia ..."
All these religions admit that it is "Faith in only God" .

And naturally, there is no one saying "NO" because it is asked that the oath at the time of opening also believes "Tuhan Yang Maha Esa".

It is not asked like "The only Almighty God".
This is the situation in Indonesia.


What happened in Japan now?
First of all, "Tuhan Yang Maha Esa" is translated into English.

An English translator of the Christian culture zone translates it into God Almighty or The only almighty God, and Japanese translates it as "The only Almighty God (唯一全能の神)" from English sentence.

Then you are asked like this.
Do you believe in "The only almighty God"?

The talks of Bapak which are transmitted is all written as if the God of Subud is the God of Abraham's religion.
Well then it usually makes us think that "the only almighty God" is that God.

By the way, it was a Buddhist who was in trouble.
(Indonesian Buddhists are not troubled.
However, all Buddhists other than Indonesia were in trouble.)
・・・・・

The translators around the world acknowledged the second source which translated from Indonesian to English in this way.
And they translated them into their own languages from there.
Therefore, when the applicant are opened , the applicant has to say that "I believe The only Almighty God" all over the world.
The situation started like that.

It seems that the concept of "Tuhan Yang Maha Esa" as existence beyond all god's name exists only in Indonesia.
For that reason, such misunderstandings or confusion occurred and spread throughout the world.

PS
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List of articles<--Link

スシラ ブディ ダルマ・7章の2 人の世界から動物の世界に落ち込む事

 Hatena - ラティハン日記・掲示板 目次<--リンク

第8章 キナンティ 45節~51節(動物力の章:一部要約あり)
『45、なぜなら人生において当然重要だとされるべきことは、単に食物を得ることだけではない。
確かに食物は必要ではあるが、完全な人間の生命(the life of a perfect human being:ロハ二Rohaniと呼ばれる段階の生命)についての洞察を得る事は私たちの取っての本質的な義務であり、その義務を果たそうという願いをもつ事は必要な事である。

46、なぜなら、そのような洞察を得る事によって、私たちはすぐに魚、つまり動物力が自分の内部でどのように働くのかについて確実に気が付く様になる。
そうして、自分の内部にある種々の(低次の)力を区別する事ができるであろう。
(注:ただし実際の所、この状態についての会員からのレポートは見たことがありません。
つまり、いろいろな生命力を見分けること、というのは、我々にとっては通常はそれほど簡単ではない、と言う事であります。)

47、私たちは又それらの力を秩序づけ、正しい方向に流してやることが出来るであろう。
それは、これらの力をそれぞれの伴侶に結びつける事で満足感を抱かせる事になぞらえる事ができる。
(注:我々が食べている食物に付随している生命力は植物力と動物力になります。
それで、生まれた時に親から譲り受けた4つの低次の力、それはこの世で人間が暮らしていく事を可能にする力でありますが、その中に植物力と動物力があります。
我々が食事をする、という事を生命力の相互作用という観点から見ますれば、外にある、食事によって取り込まれた生命力が、元から内にある(親からもらった)生命力と出会う、そうして正しく出合えれば、良い結果、つまりは体は健康になり、精神も良好に健康になるという結果をもたらす訳です。
そうであればその時に我々は「うまい」と感じ、食物に感謝する感情を感じるはずであります。
それは実に動物力と植物力が人間に対して持つ事になるであろう感謝の感情の反映でもありましょうか。
さて、この辺りの事を扱った以下のような記事もありますので、ご参照の程をお願いします。
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・3 植物の魂(植物力)-1<--リンク
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・4 動物の魂(動物力)-2<--リンク)

48、このようにして動物力を満足させるならば、人はさらに進み、被造物の長(おさ)としての彼の立場をより高める道が開かれる。
(注:動物力レベルの内部感覚Rasa diriや内部自我Diri Pribadi、ジワJiwaというレベルから人間本来のレベルであるジャスマニJasmaniと呼ばれるレベルへの向上が期待出来る様になる。)

49、言いかえれば、人間のこの行為は、もっぱら(他の低次の生命力に:それは植物力と動物力であるが)援助を与えるという性質のものではあるが、だからと言ってそれが人間の内部自我(Diri Pribadi)に利益をもたらさない訳ではない。

50、しかし、今述べた様な仕方でこれらの力を秩序づける事が出来なければ、彼らの道は暗く、闇の中で生きる事になるであろう。
(注:本来の人間としてのあるべきレベル(ジャスマニJasmaniレベル)に到達する事はできない、と言う事。)

51、このような暗闇の中では、人間の内部感覚Rasa Diriは混乱状態におちいり、人間としての(本来あるべき)地位にふさわしい前途はまったく失われてしまうと言う事ができる。
(注:生きている時に動物力の世界に飲み込まれた人は、その人生の最後に至ってはやはり動物力の世界に飲み込まれる、というのは妥当な話となる。)』


第9章 シノム 21節~25節、32節~34節(動物力の章:一部要約あり)
『19、実際には、動物力が私たちの人間的な自我の全てを左右する事は容易にはできない。
人間の性質の多くの部分は、人が注意を払いハート(Hati)の貪欲な要求に従わない限り、まだたやすく動物力によって影響される事はない。
(注:貪欲のナフスNafsu、それはアルアマAluamahスピアSupiahでありますが、その要求にずうっと従い続けてはならない、という警告になります。<--リンク)

20、はっきりいえば、人々が動物力に影響されるのは不注意からであり、それと同時に時折、人間としてあるべき様に行動しない傾向があるからである。
・・・
そして、まさにそのように行動することで、彼らの自我(Pribadi)は動物力によってさらに影響され、ついには本当は間違っている自分の行動をすべて正しいと感じ、(あるいは仕方がないものと感じ)、それが正常な状態であると思うのである。

21、このような誤った行動は動物力に何をしても良いというような活動の場所を与える事になる。
それが長く続くと動物力はますますはびこるが、その人は間違いなく(人間本来のあるべき姿)万物の長(おさ)としての地位を失う事になる。
(注:欲望にただただ従っていく事の結果はこのようなものである、というバパの主張です。)

22、もし人が道を誤り続けるとこのような事が起こります。
さらに(死後において)ひとたび動物力の世界に落ち込むと、人間の名残りをとどめたその存在は動物の生活を経験し、それが幸せと苦しみの両方に満ちた生活である事を見出すであろう。
(注:要するに動物もそのレベルにおいて幸せと苦しみを経験している、それは人の生活がその様であるのと似ているのだとバパは言います。)

23、動物の世界では、かつて人間であったというこのような存在は、もはや動物と人間の世界を区別する事ができないであろう。
なぜなら、そのための能力を(記憶と感覚Rasaを)持たないからである。
動物の世界では、彼等はすでにその世界に属する生き物のように感じ理解するであろう。
(注:このあたりの記述は、人が物質力の世界に落ち込んだ時にどうなるのか、というものと相似的であります。<--リンク)

24、これがもっぱら強欲の情熱(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)に導かれた人が誤った行動をする事で何が起こるかの説明である。
それゆえ、このような行動の仕方をやめ、動物力があなたの感覚(Rasa)を支配しあなたの進歩を妨げない様にする事が必要である。

25、それに失敗すると、単にあなた方は将来(生死を問わずに)道を失うばかりでなく、今ただちにそのように道を失うことになる。
そして、そのことによってあなた方の子孫が低いレベルの魂(ジワJiwa)を持つ事になりかねない。
(注:ここではバパは両親の行動の結果がその子供のジワのレベルを決める、という「バパのカルマ論」に言及しています。<--リンク)
・・・・・
32、このように似ている為に、感情に動かされやすく、その上人間としての自分の個性を意識する訓練(ラティハンの事)を全くした事のない人は、いとも簡単にこの動物力に影響され支配されてしまう。
もしそうなってしまえば、そのような人たちは(人生の)最後が来た時に間違いなく動物力の世界に落ち込む事になる。

33、真実を言えば、まさにその通りなのである。
しかし真実にまだ目が開かれていない人たちは、人間段階(ジャスマニJasmani レベル)よりはるか下に落ちるという可能性に気がつく事ができない。

34、だがそこまで深く落ち込んだ事の結果に苦しむのは、(この世での)最後の瞬間だけではない。
まだ人間のからだを持って生きている間ですら、彼等はもはや人間の様にはふるまわない。
これが転落の結果である。
従って実際は役割が逆転してしまう。
人間(力)は狭い生活の場を見つける事になり、一方で動物(力)はその反対に、例外的な広い活動の場所を見つけます。

35、こうした状況下では、動物力はますます強さを増し、なんでも望む事を行う事ができる。
それゆえ、動物力で満たされた人はハート(Hati)の強欲さ(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)だけに従いたがる、という傾向をもつ事になる。』

PS
動物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。

但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))地球に定められし時、それから雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事についてにはこちらから入れます。<--リンク

さて、バパは「ジワは死後も存続する」といいました。
しかしながら各自の「自己 プリバディPribadhi」 やそれに含まれる「内部感覚 ラサディリRasa diri」がどうなるのか、不明確な所が残ります。

それで、この件につきましては今後の検討課題としていきたいと思います。

PS
人間力以下の4つのロホの生命世界、それはバパ流の「輪廻転生の世界」となります。
それは地球上を舞台とし、どうやらこの現世にオーバーラップして存在しているかの様であります。
その世界を支配しているのは、従来の教説によればカルマなのでありますが、バパの説明ではカルマにはそのような働きを認めてはおりません。
たとえば、仏教によれば「人は六道を輪廻し、それぞれの世界で定められたカルマが消失する事でまた人として転生する。」とされています。
そうして「人という存在形式の時のみに解脱という事が、輪廻の輪から離れる、という事が可能になる。」と説かれています。
しかしながら、バパの説明の中のカルマにはそのような働き、機能はない様であります。
(バパのいうカルマは単に「人間が犯した誤りである」という扱いになっています。)

バパが述べている「輪廻転生の世界」からの解脱、あるいは離脱は「ロハ二世界への旅立ち」という形でトークの中に表れています。
それは本来の人間のいるべき場所であり、アダムが地上に降りる前にいた場所でもあります。
そこに到達する為には、当然のことながら普通の人間の段階、ジャスマニJasmaniと呼ばれる段階に到達し、そこからさらに上に行く事が必要になります。
そうしてまた、このロハ二の世界はこの地球上の世界ではない、というのもバパの説明であります。

しかしこの旅立ちの時に邪魔をする者達があり得ます。
それが人間力以下の4つの低次の諸力です。
現世の生活においてこれら4つの諸力との間に、合意、調整、清算、統御が完了していない時には、それぞれの諸力が旅立ちの邪魔をする、とバパは言います。
そうやって、ロハ二ではなくこの地球上のどこかの世界に引き込まれる、そう言う事の次第になるとトークでは述べられています。
・・・・・
以上の事に関連する記事、「バパのリンカネーション論(輪廻転生論)」にはこちらから入れます。<--リンク


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク